日本の科学教育はかくも落ちぶれたり

By 2010/11/28 No tags Permalink

今日は娘(5)と姪っ子(8)、甥っ子(6)の3人を連れて富山科学博物館に行ってきた。目的はプラネタリウムを見せるため。

僕自身プラネタリウムを観に行くなんて随分と久しぶりだけど、今日は雨だったのもあり、突然思い立って子供たちにプラネタリウムを見せて、おじちゃんとしての株を少しばかり上げてやろうなんて思ったわけです。

富山科学博物館のプラネタリウムは昨年出来たばかりの最新鋭の機械ですから、そりゃ楽しみです。子供たちビックリするぞ~ってなもんです。

プラネタリウムがはじまり、ナレーションのお姉さんの「街の灯りを消したら、本当はこんなにもたくさんの星が輝いているのです」という声と共に街の灯りが落ち、スクリーンに満点の星空が描き出される。

生まれて初めてプラネタリウムを見る娘はそりゃ感動していました。「うわぁ!キレイ!」って叫んでました。甥っ子達は初めてではありませんでしたが、やっぱり感動してたようです。

ところが、ですよ。

終わっちゃうの。説明が。

秋の星座と言って説明したのが、ペガスス座、アンドロメダ座、そしてペルセウス座にカシオペア座、くじら座、以上終了。正味7分間。

そして次に始まるのが漫画。かいけつゾロリ。しかも前回からの続き!!(今回はちきゅうをめざせ編)。もう突然混乱です。あんなに素晴らしかったプラネタリウムのスクリーンがただのアニメのスクリーンになっちゃった。残り延々30分。星座や星とは何の関係もないアニメを放映するだけ。もちろん娘から「わぁ!」なんて声はもう聞こえてきやしませんよ。当たり前だ。ずーっとはてなマーク出っぱなしって感じ。

そもそも、ペガスス座やアンドロメダ座、くじら座なんて大人だって実際の星空で探すのは難しい。そしてスクリーンには素晴らしい天の川が横たわっているのに、天の川の「あ」の字さえナレーションには出てこなかった。北極星や北斗七星、オリオン座のようなわかりやすい星座、あるいは黄道十二星座にあるような星座の紹介も一切なしだ。

あとはアニメを流しておけば子供は喜ぶだろう、という感じだろうか。開演時間によってはアニメ以外にもいくつかドキュメンタリっぽいのはあるようだけど、いずれにせよプラネタリウムの稼働時間が数分なのは同じらしい。

これで子供たちに天文学に興味を持てというのはいくらなんでも酷な話だと思わないだろうか?日本人に馴染みのない星座を数個、数分間で紹介されて、あとはアニメって、、、僕は涙が出そうになったよ。日本の科学教育はここまで落ちぶれたかと。

僕自身子供の頃はプラネタリウムが大好きで、よく天球儀(安物)と双眼鏡や望遠鏡を持って星空を観察していたもんだ。時間が経つと星空が動くこと、動く速さが方角によって違うこと、観察することでたくさんのことがわかった。そのキッカケを与えてくれたのは、いつも学校の先生と、プラネタリウムだった。今のプラネタリウムは星が動くことさえ教えてはくれない。昨今ゆとり教育が問題になっているが、ゆとりなのは学校だけじゃない、プラネタリウムもどうやら同じらしい。実に嘆かわしい。

「もっとお星様観たかったな」

これが我が子の感想だ。子供の感性をあまりバカにしない方が良い。子供たちが持っている可能性ってのはそれこそ無限大だ。子供なんだからきっと星よりもアニメの方が喜ぶはず、なんていう極めて貧相な考え方が子供たちから可能性を奪っていることにどうして気がつかないのか。かいけつゾロリが悪いとは決して言わない。だけどプラネタリウムでやるべきではない。

あのプラネタリウムを見たその晩に天体観測をする子供がいるとは到底思えない。そのくらい本来のプラネタリウムが隅っこに追いやられたプラネタリウムショーだった。

あの立派なプラネタリウムは、子供たちの頭上に輝いている満天の星空を写してやるために造られたものじゃないのか?かいけつゾロリを見て大喜びで出て行く子供たちに向かってプラネタリウムが叫んでいたよ。少なくとも僕には聞こえた。本当はもっと子供たちに星を見せてやりたいんだって叫びが。

星空や動植物、昆虫というのは子供が最初に興味を持つ不思議の対象だ。その芽を摘むのはたいてい親であり大人だ。子供の学力低下が叫ばれて久しいが、実際には子供がバカになったんじゃなくて、大人がそうなるように仕向けているような気がしてならない。

悲しいけど今日のプラネタリウムを見て僕はそう思わずにはいられなかった。

ビジネスはRPGだぜ② ~武闘家だけでは戦えない~

By 2010/11/25 No tags Permalink

冒険の旅へ出るにあたり、差し当たってやるべき事はなんだろうか。そうだ。決まっている。ルイーダの酒場へ行って一緒に危険を共にしてくれる命知らずな冒険者たちをかき集めることだ。

ルイーダの酒場には戦士や武闘家、魔法使いや僧侶など様々なパーソナリティやスキルを持った人々が集まっているので、その中から仲間を選抜するわけだ。ここで間違っても勇者以外全員武闘家なんてことにしちゃダメである。

確かにレベルが低いうちは、低コストで強さを発揮する武闘家は冒険には最適と思えるかもしれない、しかし、魔法による攻撃や、回復などのサポートがなくてはやがて冒険は破綻することになる。

結局同質の能力ばかりを持った人ばかり集めてチームを編成しても、強いのは最初の一瞬だけで、厳しい戦いになればなるほど、そんなチームは全滅して、代わりにどこの馬の骨とも知らない勇者にバラモスの首を取られてしまうわけだ。

そうだ。僕らは子供の頃にRPGをやりながらすでに多様性(Diversity)の重要性をしっかりと理解していたはずだ。確かにルイーダの酒場の中では、戦士は戦士で集まり、魔法使いは魔法使いで集まり、それぞれが、それぞれのグループで腕っぷし自慢や魔法自慢、あるいは互いにののしり合いをしていたかもしれない。しかし、一旦勇者の下でパーティを組んだら、それは生死を共にする仲間となる。

ビジネスも同じようなものかもしれない。普段は第1営業部とか、第3開発部とかに所属して部門的には対立しているかもしれないが、いざプロジェクトとなれば、リーダーの下一致団結して助け合いながら前進していかねばならないのである。

ちなみにマイクロソフトでは開発にあたって異なるスペシャリティと役割(ロール)を持ったメンバーからなる小規模なチームをチーム・オブ・ピアーズ(Team Of Peers )と呼んでいた。もちろん人事上の所属は開発部門や品質管理部門に分かれているが、プロジェクトに応じてまさにルイーダの酒場のように人が集められるわけである。

さらに外資系企業ではプロジェクトに「コードネーム」というものをつけることが多いような気がする。たとえばマイクロソフトの場合最近ではLonghorn(Windows Vista)やVienna(Windows7)など, 僕が担当していたVisual StudioではWhidbeyやらOrcasやらRosarioやら、SQL ServerではYukonやらKatmaiやら、あらゆる製品に全部わかりにくいコードネームが付いていた。もうね何がなんだかよくわかんなかったし、こんなのいったい何の意味があるんだ?ただのカッコつけマンか?と思ってしまいそうだが、実はこれは人事上の部門ではなく、プロジェクトと言う単位で集う多数のメンバを一致団結させ、プロジェクトに執着させるために有効な手立てなのである。こう言う低コストで打てる手は日本企業もどんどん真似すべきではなかろうか。

リーダーは異なるパーソナリティを持った複数の人間を取りまとめていかねばならない。それは大変な仕事である。可能であれば管理しやすいメンバ構成を願うものである。でも、それではダメだ。なぜならば困難にぶつかった時に、これまでにない発想力で障害を乗り越えるには、多様性や柔軟性は絶対に必要なものだからだ。

リーダーの仕事は仕事そのものをすることではなく、チームメンバの仕事が阻害されそうになる要因を早くに察知して、障害を取り除き、チームメンバのポテンシャルを最大限に引き出すことにある。勇者の大切な仕事は目標を決めること、そして、その過程で発生する障害を除去することであり、求められるのは異質なパーソナリティを持ったチームメンバを一つの目標に向かってドライブさせる駆動力である。

それをしっかり理解した時にはじめて、リーダーたる者、まず何をするべきなのか、ほんの少しだけ見えてくるのではないかと思う。

ビジネスはRPGだぜ① ~王様はわかってくれない~

By 2010/11/24 No tags Permalink

◆僕らはドラクエIII世代

昨日のブログの最後でちょっとゲームに触れてしまったが、実際のところ、僕は最近はあんまりゲームをやってない。実は自分はゲームが下手だってことに気づいてしまったからだ。ちなみにアサシンクリードにハマりまくったのは事実だけど(やっぱり下手っぴだったが)

ちなみにゲームと言えば、僕ら世代はなんと言ってもスーパーマリオとドラクエじゃなかろうか。確か僕が小学校の高学年くらいの時にドラゴンクエストIIIってのが出たんだが、まぁ、一世を風靡するとはまさにあのことだろうな。現在の素晴らしく高性能なゲーム機をもってしても、あれほどハマるゲームはなかなかないだろう。勇者になって冒険の旅に出て、悪い魔王をやっつける、もうねコンセプトがすでに最高だ。

そして今大人になってあらためて思うことがある。実はビジネスってのはドラクエIIIみたいなもんじゃないか?ってことだ。

◆王様とは非情なる者

大人になった今、あらためて考えてみると、少々おかしな点に気づく。それが何かというと

勇者よ!大魔王を倒してまいれ!」

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  大魔王バラモス ↑ ©SQUARE ENIX All Rights Reserved

って言う王様がだよ?これから旅に出る勇者にだよ?たった100Gしかくれないってどうなのよこれ?ちょっとヒドイと思わないだろうか。

宝箱を開けるが良い!」

って偉そうに言うから、開けてみたら、入ってるのが棍棒とか革の服ってどうなのよ?これってよくよく考えたらちょっとヒドイと思わないだろうか。城の中を探しまわれば、絶対もう少しマシな武器とか防具があるはずだよ。

これで戦いに行けってんだから、そりゃ非情というもんだ。だけど、ドラクエの勇者は王様に対して、文句も言わず皮の服を着て、棍棒を握りしめて旅に出たんだから、世間知らずというか、向こう見ずというか、馬鹿正直というか、、、大いに我々も見習うべきである(棒読み)

◆行けるところから行くのだ

しかし、よくよく考えてみたら、実ビジネスの世界ではこれとよく似ているとも言える。それはなんと言っても、

その① プロジェクトに必要な予算は割いてもらえない

である。ビジネスでも一緒だぜ。プロジェクトをまっとうするために十分な予算を割いてもらえることなんてほとんどない。確かに、予算が足りね~ってみんな言ってた。もちろん僕自身も言ってた。だけど、そんな時こそドラクエを思い出すのだ。勇者たるもの100Gで旅に出るのだ

その② 目的と目標を混同するなかれ!

「今すぐできる『戦略思考』の教科書」の中でも述べているが、目的目標は混同してはならない。言葉の定義については本の中でも色々と触れているが、ここをいい加減にしてはならぬのである。全く別物である。

王様からの指令は「目的」である。すなわち「大魔王を倒し、世界に平和を取り戻すこと」である。そしてアリアハンの町を出て最初に決めるのは「目標」である。勇者と王様は目的は共有する。だけど「目標」は勇者が決めるのだ。

棍棒ではバラモスは倒せない。100Gではネクロゴンド(バラモスの城がある)へは行けない、なーんてアリアハンで言っててもダメだ。王様は予算に厳しい。きっと子供にはわからないお城の財政事情というのもあるのだろう。

勇者にとって、最初の目標とは「レーベ」の村へ行くことである。これならば100Gでもなんとかなるぞ。棍棒やら皮の服でもなんとかなるぞ。大魔王を倒す壮大な冒険と言っても最初はそこからスタートなわけである。まずは大魔王じゃなくてスライムと戦うのだ。スライムと!

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 スライム ↑ ©SQUARE ENIX All Rights Reserved

現実の世界も似たようなもんじゃないだろうか。まずは行動すること。今持っている武器と資金で行けるところから行く、倒せる敵から倒すのである。そうすれば、そこではじめて見えてくるのではなかろうか。勇者ご一行をサポートしてくれる人や、手に入れるべきもの、そして次に向かうべきところが

。。。つづく

「今すぐできる『戦略思考』の教科書」出版のお知らせ

By 2010/11/24 No tags Permalink

このたび講談社より「今すぐできる『戦略思考』の教科書」が発刊されましたのでお知らせ致します。

経済状況が思うように回復しない昨今ではありますが、環境の変化、回復を待つばかりでなく、いかにしてこれまでにない発想とアイデアで厳しい市場に打って出るか、この点を真剣に考えなくてはならない時期にきているのかもしれません。

しかし「これまでにない発想」と一言で言っても、それがどうすれば出てくるのか皆目見当もつかないものです。新規顧客開拓、既存顧客の深堀り、言葉で言うことはとても簡単ですが、それは実際にどうやるのでしょう。

環境が厳しくなると、どうしても気合と根性で誠心誠意の顧客訪問というのが増えてきます。しかし残念ながらそれだけでは新しい取引を勝ち取ることは難しくなってきているのが現状です。誠心誠意でお客様とお付き合いすることは大切です。しかし、これは最低限の話で、言わば当たり前の事です。それに加えて、どれだけの付加価値を提供できるか、また、その付加価値を伝えられるかが本当に大切なのではないかと思います。

今すぐできる『戦略思考』の教科書の中では、実際に私たち自身が実行してきた様々なノウハウがたくさん詰まっています。ここに書かれているのは、大きな予算もなく、十分な人員もいない中で勝負するための知恵です。武器と言い換えても良いでしょう。

厳しい時代だからこそ、これまでにないチャレンジをすること。これが大事なのではないでしょうか。チャレンジには失敗もつきものです。だけど、失敗を恐れていては縮小するマーケットと共に沈むしかありません。会社に損失を与えることのないチャレンジとは何か、学びになる失敗とは何か。ぜひ本書を参考に、これまでにないアイデアというものを真剣に考えてみて頂きたいと思います。

筏井哲治

たとえばExtremeであるということ

By 2010/11/23 No tags Permalink

現代人は、つまり僕らは基本的に不感症だ。色んなものに対してとんと興味がない。最近の若者の○○離れってのは、その典型例と言える。

しかし別に不感症なのは若者だけじゃない。ビジネスにおいても似たようなことは言える。たいていのものがすでに揃っている中で、いったい次は何に投資をしたら良いのか、本当によくわからない。

これまでのひとつの投資判断には ROI(Return On Investment) というものがあった。これは投資に対する収益率を指すもので、正式には投下資本収益率というそうな。10人でやっていた作業が、この機械を導入することで1人で作業ができます。よって、こんだけのコストが削減できますよってな感じだろうか。

でも、そんなことが言えるのは最初だけ。そのうち、イノベーションと言っても機能の追加や修正程度のものになるので、最初の時ほど買い手から見た時の価値は増大しない。手動から自動に変わることで大幅な効率化が図れたが、すでに効率化されている場合はどうしたら良いのだろう。今よりさらにあと5%効率化できます、って提案をするしかないのだろうか。

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図1 イノベーションと効果

これはどんな商品にもある成長、成熟、衰退のライフサイクルと言える。これはもしかしてクリステンセン教授が言った「イノベーションのジレンマ」というヤツなのだろうか。

もう少し大きな視点で人類の歴史を振り返れば、大きなイノベーションはこれまでにいくつかあった。たとえばモビリティに関して言えば、図2のようになるだろう。

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図2 移動手段に係るイノベーション(のごく一部)

個人のモビリティで言えば人類は「走る」ところから、馬や自動車、自転車やオートバイなど様々な移動手段を産み出してきた。もちろん公共交通を加えると、バスや列車、船舶や飛行機など、他にもたくさん挙げることができる。

これから先、もしかしたら、スターウォーズやバック・トゥ・ザ・フューチャー2のようにぷかぷか宙に浮く個人用の乗り物なんてのが発明されるかもしれない(=破壊的イノベーション)けど、今のところ上記に挙げた乗り物の中で継続的なイノベーションを模索せざるを得ないのは間違いない。

だけど僕らはもう自動車が何なのか知っている。新幹線も、飛行機も、オートバイも。だって、僕たちはこれらがフツーに整備された社会で生まれ育ってしまったんだもん。だからちょっとしたCMやチラシを見ても、たいして興奮しないのかもしれない。

ここで「なんで売れないんだ。最近の若者はダメだ」なんて居酒屋で愚痴っても何の意味もない。そうなってしまったものは仕方ないのだから。このような時にこそ戦略思考である。このような場合 Primitive(原始的) – Innovative(革新的) と言う軸で、先進的な機能や、付加価値を説明するだけでは弱い。まぁ、なぜ弱いかは拙著を読んで頂くとして(笑)、たとえば軸を増やす、すなわち三次元で考えたりすると、もしかして新しい戦略が見えてくるかもしれない。

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図3 パルクールと母ちゃんの散歩

歩きよりも馬、馬よりもバイク、バイクよりも自動車、自動車よりも新幹線、新幹線よりも飛行機と考えたのが Primitive – Innovative 軸だったけど、成熟したマーケットの場合  Extreme – Boring 軸なんてもありかもしれないよ。

たとえば「走る」というものを考えた時、僕の母ちゃんが近所のオバチャンたちと散歩をしているところを見たって、面白くもなんともない。だけど、オリンピックでボルトさんが走るところを見て、多くの人が興奮したのはなぜだろう。あるいはマラソンを見て僕らが感動するのはなぜだろう。

ここで言えることは、たとえ移動手段が技術的に原始的(Primitive)であったとしても、それが常識の範囲を超えて(Extreme)いれば、観る者に強烈なインパクトや感動を与えることができるってことだ。

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図4 Primitive – HighTech / Extreme – Boring Quadrant

歩きやチャリよりも自動車を持つ事の方がカッコイイというのがこれまでの考え方。でもそれだけでは今どき「欲しい。買う!」とまで思わせることはなかなか難しい。図4にある通り、どれだけハイテクであっても、必要としていない人には興味がないからだ。逆にただ「走る」だけであってもパルクール(Parkour:仏=フリーランニングとも言う)のような常軌を逸したことをしている人たちは、であるが故に、それを見る僕たちに、強烈なエキサイトメントを与えてくれる。

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パルクール

機能的に Primitive だからダメなのではない、たとえ、どれほど高機能であっても、それをツマラナく伝えている限り、製品に興味を持ってもらうことは難しい。逆に言えば、機能的に負けている製品であっても、勝負することは可能である、ということも意味する。

満たされた時代、満たされた世代に訴えかける要素の一つは、たとえば Extreme であること、といえるのかもしれない。

【蛇足】
パルクールは見てる分には面白いけど、間違っても自分でやってはなりませんよー。死んじゃうよー。2階やら3階から飛び降りて、平気なのは彼らが普通の人間ではないからです。では、僕らはどうすればパルクールをできるのだろうか。僕らは一生パルクールをできないのだろうか?それはあまりに不公平というものである。

そうだ、このような時こそテクノロジーだ。パルクールを好きなだけできるのがゲームの世界だ。アサシンクリードは、中世のエルサレムやダマスカス、ヴェネツィアやフィレンツェ、そしてローマの街を好きなだけパルクール(フリーランニング)できるよ。壮大なストーリーと、驚異的なグラフィック、そして素晴らしい爽快感は、まじでひっくり返るほど面白かった。

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アサシンクリードでパルクール

そう言えば、もうすぐアサシンクリードの最新版 ブラザーフッドが発売される。ってことは、僕自身も年末はもしかして16世紀のローマの街を縦横無尽に走り回ることになるかもしれないな。いや、別に宣伝してるわけじゃないっすよ笑

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Assassin’s Creed Brotherhood E3 Trailer