BigData EXPOの事例として紹介されました!

2/26,27の二日間にかけて東京で行われている「BigData EXPO 2014 Spring」の講演にてピアズ・マネジメントが事例として取り上げられました!
ビッグデータ時代といわれている中で、北陸という地、少人数の会社でどのようにビッグデータに取り組んでいるか。必見です。

ピアズ・マネジメントは本気で世界を相手にビジネスに取り組んでいます。
講演に使用されたPreziをぜひご覧ください。ビッグデータとはについても非常によく描かれておりますので、ほんと必見です。

※スマートフォンではうまく表示されないこともありますので、ぜひパソコンでご覧ください。

衰退、そして創造と再生〜ルネサンスと日本文化 II 〜

「なぜ応仁の乱は起きたのか?」

この簡単な疑問にすら、僕は答えられません。教科書的には、足利将軍家の家督争いから始まる守護大名、細川家と山名家の戦がキッカケってことになります。では、なぜ家督争いが起きたのでしょうか?それは足利将軍家の力が弱体化していたことが大きな原因です。では、なぜ足利将軍家は弱体化したのでしょうか?これは逆説的に各地の守護大名が室町時代の平和な時期に大きな権力を持つようになったことが原因です。初代将軍足利尊氏は南北朝時代に北朝を擁立し、後醍醐天皇率いる南朝と、その将である楠木正成と激しい争いを続けたわけですが、南北朝が完全に統一されたのは1392年(明徳の和約)で三代将軍足利義満の時代です。つまり、幕府運営のグランドデザインをしっかりとできないまま足利尊氏は世を去ったと言えます。これ以上の深入りはしませんが、重要な点は、足利室町幕府は、脆弱な体制で運営されていたということです。

室町幕府に致命的なダメージを与えた真の元凶は?

そこに大きな負荷としてのしかかってきたのが自然災害です。現在のようにテクノロジーが発達していない当時、干ばつ(旱魃)や冷害は、即、飢饉が発生するという意味で、幕府が最も恐れた天変地異と言えるでしょう。そんな弱体化した室町幕府を襲ったのは、ケタ外れの干ばつでした。1459年頃から数年にわたって日本では作物が育たないという、恐ろしい状況が続いたのです。

この飢饉に対し八代将軍足利義政は手を打つどころか、世捨て人のように隠居をしてしまったというから驚きです。国の危機において将軍が役に立たないのではどうしようもありません。そこで登場してくるのが、足利義政の正室であり九代将軍義尚(よしひさ)の母、日野富子と、細川勝元と山名宗全だったわけです。この大飢饉の最中に日野富子は細川勝元と組んで自分の子を将軍にするために画策し、対する山名宗全は義政の弟である足利義視(よしみ)を擁立し、激しい対立を生じさせることになります。そして、これが最終的に京の都を焼き尽くす応仁の乱へと発展していくわけです。

日本の歴史の授業では1452年に南太平洋の小さな群島、現在のバヌアツ共和国で起きた巨大な海底火山クワエの噴火が取り上げられることはほとんどありません。少なくとも僕は聞いたことがありませんでした。そして1452年の南太平洋クワエの大噴火が、その後少なくとも3年にわたって世界から夏をなくし、世界中で大飢饉を引き起こしたことも、ほとんど教えられていません。

応仁の乱とルネサンスの共通点

この大噴火が日本では長禄・寛正の飢饉(1459年〜1461年)の引き金となり、ヨーロッパではオスマン人の大移動に伴う東ローマ帝国の滅亡(1453年)へとつながります。東ローマ帝国も室町幕府同様以前から弱体化していた点は同じですが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が陥落する引き金となったのは、やはり、1452年の南太平洋の大噴火に端を発する飢餓と言えるわけです。ギリシア正教の東ローマ帝国からイスラム教のオスマン・トルコ帝国へ、となれば、多数の知識階級のギリシア人がコンスタンティノープルから西ヨーロッパ(特に現在のイタリア)へと亡命しはじめた理屈も理解できるでしょう。この時に亡命ギリシア人たちは様々な思想や技術、科学、特にイスラムの高度な数学を持ってイタリアへとやってきたわけです。

ヨーロッパが中世を抜け出したキッカケは外圧

イタリアを中心に芸術、科学の花が開いたルネサンスは一方で、世界的な不作、飢饉、オスマン・トルコ帝国の侵入による東西交易の遮断、地中海交易権の剥奪による経済の停滞などどんよりするような状況下で生まれ最盛期を迎えるのです。もし、オスマン・トルコ帝国による地中海支配がなければ、ヨーロッパ人にとって海とは地中海であり続けたのかもしれません。オスマン・トルコ帝国の地中海支配によって、印刷技術、測量技術、航海術、造船技術、これらすべてが同時多発的に飛躍的な発展を遂げ、ヨーロッパ人は地中海から大西洋という外洋へ飛び出して行ったのです。

ヨーロッパではクワエの大噴火によって東ローマ帝国の滅亡という大きな転換点を迎えました。これによってルネサンスは最盛に向けて加速したわけです。かたや日本はどうでしょうか。僕たちは応仁の乱から戦国時代へと続く歴史は年表で学びましたが、ヨーロッパのルネサンスと全く同じ事が起きていたことはあまり知りません。しかし、実際の所、後の日本人に極めて大きな影響を及ぼす、文化、芸術、建築、生活習慣のほとんどが、ルネサンスと同じ時期に生まれています。この時、日本で生まれた代表的な思想が「わび、さび」と言えるでしょう。また現在の日本でも最大の仏教宗派である浄土真宗が飛躍的に拡大したのもこの時期です。政治においては、とんと無頓着で、その悪政により一体どれだけの尊い命が失われたかわからない八代将軍義政ですが、一方で彼が後の日本に残したものは、実に偉大であることも間違いのない事実です。

衰退ではなく、飛躍に向けての準備

このように歴史を振り返ってみると、私たち人類、そして日本人の前には天変地異や飢餓、戦争のように厳しい試練が何度も立ちはだかってきました。そして、そのたびに、私たちの祖先はそれを不屈の闘志で乗り越えてきたのです。確かに今僕たちは「失われた20年」を生きているのかもしれません。政治的にも、不信が続いてきたのも事実です。しかし、動物が勢いよくジャンプするためには、一度大きく身を縮めるように、日本という国もまた次のスタートダッシュに向けてクラウチングの必要があったのだと僕は考えたいです。今、巷ではアベノミクスという言葉がそこかしこで聞かれます。いよいよ、20年の準備期間を経て、再び日本の再生、飛躍の時期が来たのかもしれません。

伊勢神宮と技術継承

 

伊勢神宮 内宮

先だって生まれてはじめて伊勢神宮にお参りに行って来ました。これまで神社といえば、近所か観光地かというくらいしか、あまり行ったことがなかったので、今回の伊勢神宮参拝は色々と日本を考える良いキッカケとなりました。

伊勢神宮は内宮(ないくう)と外宮(げぐう)に分かれて、それぞれに天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)という二柱の女神がお祀りされてます。日本の古神道のひとつの中心地であることに異論なく、古くからお伊勢参りとして日本人が生涯一度は目指した聖地でもあることは皆様ご存知通りでしょう。

そんな伊勢神宮の社殿が建築されたのは今から20年前の1993年です。はて、伊勢神宮が20年前に建造された?そう、私たちが伊勢神宮に出かけてお参りする社殿は20年前に作られたものだそうです。そして、今また新しい正殿が作られ、今年の秋(2013年10月)に天照大御神と豊受大御神の御神体は新しい社殿に遷御(せんぎょ)される予定になっています。

文化や宗教においては古いものほど価値があるように思われがちですが、伊勢神宮は常に社殿を清く(=新しく)保つことを良しとしてきました。20年一度、正殿のみならず、その他いくつもの社殿、倉、橋などすべての建造物が生まれ変わるのです。これが伊勢の「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」です。20年に一度建て替えるという文化が継承されて今年で62回、途中戦国時代などの中断を含めると、第一回式年遷宮が行われたのは持統天皇が統べていた飛鳥時代(690年)、実に今から1300年前です。大分昔からやっているお祭りですね。

どのような経緯と目的で20年ごとの式年遷宮が制定されたのかは諸説ありますが、様々な視点から見てみると、非常にうまくできた仕組みであることがわかります。もちろん、神道として神様を常若(とこわか)にお祀りするというのが、第一でしょう。しかし、日本的思想の真髄は、それらを生活や文化に溶け込ませることで、長く、強く生き残る点にあると個人的には思っています。

まぁ、私の推測ではありますが、一番大きな目的は宮大工という特殊な建築技術を長く継承することだったのではないかなと考えています。特に一世代20年と考えると、ますます20年での式年遷宮は技術継承を目的としたイベントなのではないかと思えてきます。1300年にわたって引き継がれてきたのは社殿そのものではなく社殿を作る技術です。結果的に私たちは持統天皇が生きた飛鳥時代と同じ伊勢神宮を目にすることができるのです。

もちろん大抵、宗教というものは永遠の美を目指すものです。西洋のキリスト教も良い例でしょう。地震が少ない当地の石の文化では、石で作られた頑丈な大伽藍によって永遠に続く美を表現しようとしました。逆に地震や台風など自然災害の多い日本で、私たちのご先祖様たちは、式年遷宮と言う方法で、こちらもまた永遠の美を保とうとしたのかもしれません。わかりませんが。結果的にそうなってます。

日本は北海道から沖縄までどこに行っても、神社があります。伊勢神宮や出雲大社に比べればもちろん小さなお宮さんです。しかし、これら全国津々浦々の神社がいつも美しく、清らかに保たれているのは、ひとつは伊勢神宮をはじめとしたいくつかの神社で、式年遷宮が守られているからではないかと思えるのです。式年遷宮があるから、日本にどのような文化や宗教が他国から流れ込んできても、飲み込まれることなく、むしろ良いところだけをうまく取り入れてさらなる文化的発展に役立てることができたのかもしれません。

明文化された教義や教典が存在しない神道だからこそ、宮大工は言葉ではなく、仕事を通じて神様への畏敬の念を持つことができたのではないでしょうか。そんな宮大工はきっと古くから日本人にとって最も誇り高い職業であったことは想像に難くありません。その宮大工が持ち得た思想こそが、私たち日本人に、労働は罰であり贖罪であるという考えではなく、働くことは神様との対話であり、崇高な行いである、という考えとして根付いたのかもしれません。

どれも憶測の域を出ませんが、ともかく生まれてはじめてのお伊勢様を見て、文化的、宗教的に優れているだけでなく、技術を継承するために文化に組み込んだ(ように見える)ロジックが非常に見事だなぁと思った次第です。

今年(2013年)は60年ぶりの出雲大社の式年遷宮も重なり、私たち日本人にとっては、浄化であり、生まれ変わりの年であり、新しいことを始めるに最高の年であると言えます。新しい正殿にお渡りになった神様たちが、きっと私たちの日々の頑張りを見守ってくださることでしょう。安心して色んなことにチャレンジしましょう。

伊勢神宮の木からセミのようにパワーを吸い取ってみる

制約があるからこそイノベーションは生まれる

イノベーションという言葉は今やビジネスの世界では完全に市民権を得と言えるでしょうか。ちょっと前まではイノベーションの日本語訳として「技術革新」が当てられていたため、どちらかと言うとサイエンス、特に技術的な発明や発見というイメージが強い言葉でもあります。

 

しかし、本来、イノベーションを経済学的な見地から定義したシュンペーター先生は「社会的意義のある変革」が「イノベーション」であって、既存の技術や仕組みであっても、それを再活用したり、これまでにない統合によって社会に変革をもたらすことができれば、それはイノベーションと言えるし、逆に画期的な発明であっても、それが社会に認知されることなく、誰にも知られないまま埋もれてしまえば、それはイノベーションとは言えないわけですね。

 

でもって、当たり前ですが、発明したテクノロジーや、新しいサービスがすべてイノベーションを起こすことなんてできっこありません。もちろん、分析や調査、試行錯誤を繰り返して、なるべくその確率を上げていくという取り組みは必要ですが、それ以上に重要なのは、イノベーションの種となるアイデアの数の方でしょう。アイデアの数が少ない企業で、イノベーションを起こせた会社はきっと存在しないはずです。

 

アイデアはとても大切だし、それは多くの人が理解していることでしょう。どうすればアイデアがたくさん出てくるのでしょうか。本屋さんに行けば、発想力を鍛える、だとか、アイデアが出てくる会議の方法、みたいな本がたくさんあると思います。もちろん、このような本から得る知識はとても重要で、先人が生み出した効率的な手法を身につけることで、同じ苦労や遠回りをせずに済むのは間違いありません。

 

多くの企業が、どうすればもっとたくさんのアイデアが社内から出てくるか、そしてそれを製品やサービスに組み込んでいけるか、日々考えているはずです。そのために「アイデアを出すトレーニング」をしているようではきっとアイデアはなかなか出てこないでしょう。

 

実はアイデアというのは「制約」に大きく依存します。制約があるからこそ、様々な知恵を使って人はそれを乗り越え、より良い社会を作ることができるのです。しかし、一口に制約といっても「善玉制約」と「悪玉制約」があります。善玉制約とは、乗り越えることが可能で、また乗り越えた先には新しい発展や美があるものです。逆に悪玉制約は人のモチベーションを下げ、努力することを無意味に思わせる制約です。

 

善玉制約の代表例は気候でしょう。気候は人がどう頑張ってもコントロールできない制約要素です。特に日本のように夏は熱射病になるほど暑く、冬は極寒、1年を通じて過ごしやすい日の方が少ない国は何をやるにも制約だらけです。特に近代以前は、気候が与えた影響は大きいはずです。農業も工業も商業もすべて気候に依存します。種を蒔く時期から刈り取りの時期、家の修繕や着物の直しまで、限られた期間に必ずやらないといけませんでした。できなければ死ぬわけです。

 

私たちのご先祖様は、厳しい自然条件の中、あらゆる知恵を絞って、家を守り、子孫を繁栄に導いてくれたのです。じっくりと調べてみれば、日本人の衣食住が実に広く深く自然環境や気候条件に大きく依存していることがわかるでしょう。それを乗り越えるために、現在となっては伝統文化や伝統技術と呼ばれる日本固有の風習が北から南まで数えきれないほど生まれたり、乗り越える過程で、日本人独特の美意識が芽生えてきたりしたわけですね。制約による多様性の開花の最高の例が、我らが日本と言えるでしょう。

 

それに対して「悪玉制約」は未来の可能性よりもリスクで脅すような制約です。例としては「出したアイデアは売上責任を負う事」とか「会社として新規投資の凍結」とか「昇格にはTOEIC700点以上必要」とか、そんな感じのものです。日本国内では、ここ20年ほど「規制緩和」という言葉が政府や企業でやたらと頻繁に使われているようですが、その実、悪玉制約が増えているのも事実です。

 

この政府による悪玉制約の増大にIT企業が加担してきたことも、かつてIT企業に身をおいていた私としては、今となってはとても心苦しく思います。その悪玉制約を表す代表的な用語が「コンプライアンス」です。その次に「ガバナンス」「プライバシー」「標準化」と続きます。言葉だけ聞いてもいったい何をすれば良くて、何をしてはダメなのか、さっぱりわからないこれらの言葉によって、多くの日本企業は手足を自縛したまま、何年も停滞しているように見えます。

 

悪玉制約は増えれば増えるほど、努力してもしなくても同じ、アイデアは出すだけ無駄という思考が働くようになり、結果的には組織全体が沈み、究極的には国全体が沈んでいくことになるでしょう。

 

世界から見れば、日本という国が持つ力はこんなものではないはずなのに、どうしていまだに浮揚できずにいるのか、不思議で仕方ないのかもしれませんが、日本国内にいる私たちからすれば、これら目に見えない様々な悪玉制約や、これまで築いてきた既存資産、既存サービス部門が持つ既得権、長らく続く採用抑制による人材育成の断絶、その他様々な条件が重なることで組織内の空気が、わくわくするようなアイデアの実践や、既存の仕組みを変革するような取り組みを阻んでいるのを感じます。

 

政府も企業の経営も、発展の鍵、そしてイノベーション創出の鍵は「制約をコントロール」することにあります。すなわち善玉制約を増やして、多様なアイデアが生まれる土壌を作ること、そして悪玉制約を減らして、人が未知の領域に踏み出す勇気を与えること、この2つがリーダーに求められる最も重要な能力であり、責務であると言えるでしょう。

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