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伽藍か?バザールか?

ソフトウェア開発永遠のテーマ

ただいまアジャイルがダメか、良いかで(ごく一部の限られた社会で)大変な盛り上がりを見せているようです。僕も職種こそプログラマからコンサルタント、マーケティング、営業へと変化していったものの、サラリーマン時代は一貫してソフトウェア業界に生息してました。今にして思えば、僕がソフトウェア業界でキャリアを積んだ時期とアジャイルが世に広まった時期はほぼ同じだったようです。マイクロソフトの Visual Studio に Team Systemが登場した2005年に、日本中を飛び回って Visual Studioを使ってイテレーション開発をやりましょうなんて説いて回ってましたしね。そんな僕ですから、もちろんアジャイル側の人ってことになるでしょう。

 

「アジャイルがダメだと思う7つの理由」から始まったアジャイル論争の現時点のまとめ

 

議論の内容自体は、上記サイトを参考にしてもらうとして、色々と考えさせられました。そして、あらためて思いました。アジャイルかウォーターフォールかの議論は10年以上経ってもあんまり変わってないんだな、と。

 

開発方法論に良し悪しはない

たとえば、実体経済よりも一歩先行する金融経済の世界では、超巨大で、超複雑で、しかも極めて高いセキュリティが要求される超高度なシステムが日々運用されています。現代の金融機関にとってはまさにシステムこそが命ですね。そのような巨大なシステムをアジャイル手法で開発するというのはやはり想像できません。東京スカイツリーやエンパイヤステートビルを事前の構造計算や設計、人員計画、必要な部材の調達計画なしで建造することは不可能だと誰にでもわかるでしょう。

一方で今、ビジネスの世界でのキーワードはコンシューマライゼーション(消費者個人)です。昨今のテクノロジの進歩によって、毎日のようにどこかで斬新なサービスやソフトウェアが生み出され、それがSNSを始めとするインターネットを介した新しいコミュニケーションツールによって世界中に広まっていく、このような現象はほんの数年前まではなかったことです。そうなると必然的にトレンドが移り変わる速度も加速することになります。

同じ金融機関であっても、今度は基幹系とは異なる情報系システム、たとえば「新婚カップル向け新築ローンアプリ(アベノミクス対応)」などの場合、あれこれソフトウェア開発の計画を立てて、社内稟議を回して、ダウンロード数の予測を立てて、なんてやるのは馬鹿な話です。こちらは、それこそ開発計画や詳細設計などを作る暇があるなら、さっさとアジャイル手法で動くものを作ってしまい、実際にユーザーのレビューや反応を見ながらアップデートを繰り返し、機能を拡充していくのが正しい戦略となります。3週間で開発して、運用しながらアップデートをして、半年後には運用終了なんてことが実現できるわけですからね。

 

伽藍かバザールか?

エリック・レイモンドさんは「伽藍とバザール」の中で小さなカーネルから始まった Linux を称賛しました。現にそれが今や社会を支える基盤といえるほどまで成長し、またオープンソースという思想をも広める重要な役割を果たしました。そして Linux がこれほど成功した裏側には、90年代のコンピュータの世界に、それ以前から脈々と育っていたハッカー文化があったおかげであることは間違いありません。そんなハッカー文化と非常に強い親和性を持つアジャイル開発と、日本の行政機関や金融機関、あるいは巨大製造企業の電算部門から発展したウォーターフォール型の日本のIT企業は残念ながら簡単にはわかり合えないというのも仕方ないのかもしれません。

ご存知の通りインターネットの登場によって主に金融や情報が国境を自由に越えて行き来するようになりました。しかし、今世界経済のトレンドは、グローバルな自由化です。今後は金や情報だけでなく、ヒトやモノがもっともっと激しく流通するようになるでしょう。日本にいると全然気づきませんが、本当に今世界は凄まじいスピードで変わりはじめています。

「バザール方式」よりも「伽藍方式」を得意としてきた日本のIT企業は、バザール方式のダメな所を探すよりも、むしろうまく取り込む必要があるのではないかと思います。僕らピアズ・マネジメントでは、これを「城下町方式」と呼んでいます。日本の城下町は、中心に立派な天守閣があり、その周辺に自由闊達なる商工業の町が形成されていました。どちらが良いという二者択一ではなく、両方です。この両方をバランス良く成長させることで、経済的にも、軍事的にも強い国(藩)となったのではないでしょうか。重要なのは「伽藍もバザールも」ってことです。

 

最後はやっぱり人

日本のソフトウェア開発者に求められるのは、どちらの開発手法が良いのかを議論することよりも、両方に精通し、それぞれの良いところを柔軟に取り入れながら、社会や消費者が求めているシステムを素早く提供していくことではないかなと思います。なぜならば、ソフトウェア開発方法論の議論は、最後は必ずそれを実行する開発者の能力にかかっているという結論に行き着きますからね。

 

衰退、そして創造と再生〜ルネサンスと日本文化 II 〜

「なぜ応仁の乱は起きたのか?」

この簡単な疑問にすら、僕は答えられません。教科書的には、足利将軍家の家督争いから始まる守護大名、細川家と山名家の戦がキッカケってことになります。では、なぜ家督争いが起きたのでしょうか?それは足利将軍家の力が弱体化していたことが大きな原因です。では、なぜ足利将軍家は弱体化したのでしょうか?これは逆説的に各地の守護大名が室町時代の平和な時期に大きな権力を持つようになったことが原因です。初代将軍足利尊氏は南北朝時代に北朝を擁立し、後醍醐天皇率いる南朝と、その将である楠木正成と激しい争いを続けたわけですが、南北朝が完全に統一されたのは1392年(明徳の和約)で三代将軍足利義満の時代です。つまり、幕府運営のグランドデザインをしっかりとできないまま足利尊氏は世を去ったと言えます。これ以上の深入りはしませんが、重要な点は、足利室町幕府は、脆弱な体制で運営されていたということです。

室町幕府に致命的なダメージを与えた真の元凶は?

そこに大きな負荷としてのしかかってきたのが自然災害です。現在のようにテクノロジーが発達していない当時、干ばつ(旱魃)や冷害は、即、飢饉が発生するという意味で、幕府が最も恐れた天変地異と言えるでしょう。そんな弱体化した室町幕府を襲ったのは、ケタ外れの干ばつでした。1459年頃から数年にわたって日本では作物が育たないという、恐ろしい状況が続いたのです。

この飢饉に対し八代将軍足利義政は手を打つどころか、世捨て人のように隠居をしてしまったというから驚きです。国の危機において将軍が役に立たないのではどうしようもありません。そこで登場してくるのが、足利義政の正室であり九代将軍義尚(よしひさ)の母、日野富子と、細川勝元と山名宗全だったわけです。この大飢饉の最中に日野富子は細川勝元と組んで自分の子を将軍にするために画策し、対する山名宗全は義政の弟である足利義視(よしみ)を擁立し、激しい対立を生じさせることになります。そして、これが最終的に京の都を焼き尽くす応仁の乱へと発展していくわけです。

日本の歴史の授業では1452年に南太平洋の小さな群島、現在のバヌアツ共和国で起きた巨大な海底火山クワエの噴火が取り上げられることはほとんどありません。少なくとも僕は聞いたことがありませんでした。そして1452年の南太平洋クワエの大噴火が、その後少なくとも3年にわたって世界から夏をなくし、世界中で大飢饉を引き起こしたことも、ほとんど教えられていません。

応仁の乱とルネサンスの共通点

この大噴火が日本では長禄・寛正の飢饉(1459年〜1461年)の引き金となり、ヨーロッパではオスマン人の大移動に伴う東ローマ帝国の滅亡(1453年)へとつながります。東ローマ帝国も室町幕府同様以前から弱体化していた点は同じですが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が陥落する引き金となったのは、やはり、1452年の南太平洋の大噴火に端を発する飢餓と言えるわけです。ギリシア正教の東ローマ帝国からイスラム教のオスマン・トルコ帝国へ、となれば、多数の知識階級のギリシア人がコンスタンティノープルから西ヨーロッパ(特に現在のイタリア)へと亡命しはじめた理屈も理解できるでしょう。この時に亡命ギリシア人たちは様々な思想や技術、科学、特にイスラムの高度な数学を持ってイタリアへとやってきたわけです。

ヨーロッパが中世を抜け出したキッカケは外圧

イタリアを中心に芸術、科学の花が開いたルネサンスは一方で、世界的な不作、飢饉、オスマン・トルコ帝国の侵入による東西交易の遮断、地中海交易権の剥奪による経済の停滞などどんよりするような状況下で生まれ最盛期を迎えるのです。もし、オスマン・トルコ帝国による地中海支配がなければ、ヨーロッパ人にとって海とは地中海であり続けたのかもしれません。オスマン・トルコ帝国の地中海支配によって、印刷技術、測量技術、航海術、造船技術、これらすべてが同時多発的に飛躍的な発展を遂げ、ヨーロッパ人は地中海から大西洋という外洋へ飛び出して行ったのです。

ヨーロッパではクワエの大噴火によって東ローマ帝国の滅亡という大きな転換点を迎えました。これによってルネサンスは最盛に向けて加速したわけです。かたや日本はどうでしょうか。僕たちは応仁の乱から戦国時代へと続く歴史は年表で学びましたが、ヨーロッパのルネサンスと全く同じ事が起きていたことはあまり知りません。しかし、実際の所、後の日本人に極めて大きな影響を及ぼす、文化、芸術、建築、生活習慣のほとんどが、ルネサンスと同じ時期に生まれています。この時、日本で生まれた代表的な思想が「わび、さび」と言えるでしょう。また現在の日本でも最大の仏教宗派である浄土真宗が飛躍的に拡大したのもこの時期です。政治においては、とんと無頓着で、その悪政により一体どれだけの尊い命が失われたかわからない八代将軍義政ですが、一方で彼が後の日本に残したものは、実に偉大であることも間違いのない事実です。

衰退ではなく、飛躍に向けての準備

このように歴史を振り返ってみると、私たち人類、そして日本人の前には天変地異や飢餓、戦争のように厳しい試練が何度も立ちはだかってきました。そして、そのたびに、私たちの祖先はそれを不屈の闘志で乗り越えてきたのです。確かに今僕たちは「失われた20年」を生きているのかもしれません。政治的にも、不信が続いてきたのも事実です。しかし、動物が勢いよくジャンプするためには、一度大きく身を縮めるように、日本という国もまた次のスタートダッシュに向けてクラウチングの必要があったのだと僕は考えたいです。今、巷ではアベノミクスという言葉がそこかしこで聞かれます。いよいよ、20年の準備期間を経て、再び日本の再生、飛躍の時期が来たのかもしれません。

衰退、そして創造と再生〜ルネサンスと日本文化 I 〜

「失われた20年」

そんな言葉を誰もが100回や1000回くらいは聞いたことがあるでしょう。失われた20年。なんとなく響きも良いです。良い感じでどんよりします。特にメディアを通じて、こんな暗い内容ばかり流されると、20年間を無駄にした政府や政治家を批判したくなるんです。人の性です。

ここではこの20年の日本の政治がどうだったかは別として「失われた20年」という言葉をもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。まずは、この20年で一体何が失われたのでしょうか?日本の領土?日本の金融資産?日本の人口?

実際にはそんなに色々と失ってはいません。そりゃ株価はバブルの頃よりは下落したかもしれませんがGDPはほとんど横ばいでキープしてます。むしろ、この20年は為替に翻弄され、景気後退局面にあるにも関わらず厳しい円高が続いていましたが、それでも踏ん張ってきた日本経済ってものを考えると、日本の底力を見せつけられる思いがします。

確かに政府の借金は増え続けているし、税収は落ち込んでいます。少子高齢化はますます加速し、グローバル化の波は否応なしに日本にもやってきているのが現状で、それはそれで大変ですが、こんなの仕方のないことです。日本政府だけでどうにかなるもんでもありません。よく、日本は外圧がなければ変われない、なんて言われますが、本当のところそれは日本に限ったことではないのかもしれません。

フィレンツェの景色 © Francisco Antunes

14世紀にヨーロッパでルネサンスが興りました。こんなことは社会の授業で習ったのでみんな知っているでしょう。ヨーロッパでルネサンスによる文化の花が開き、ダ・ヴィンチ(1452〜1519)やミケランジェロ(1475〜1564)などの巨匠が活躍していた時(15世紀〜16世紀)、日本では何が起きていたでしょうか。

応仁の乱(1467〜1477)です。応仁の乱が収束した後も、各地で内戦が続き、最終的には全国を巻き込む戦国時代がやってくることはご存知の通りです。僕たちは、ルネサンスと応仁の乱を、社会の別の授業で習いました。少なくとも、この2つの歴史的事象に強い相関関係があることは教わった覚えがありません。しかし、物事には大概原因というものがあり、それをひとつずつ紐解いていくと、これまで見えていなかったものが鮮やかに浮かんでくるのです。

次回は、ルネサンスと応仁の乱の関係を見ていきます。

伊勢神宮と技術継承

 

伊勢神宮 内宮

先だって生まれてはじめて伊勢神宮にお参りに行って来ました。これまで神社といえば、近所か観光地かというくらいしか、あまり行ったことがなかったので、今回の伊勢神宮参拝は色々と日本を考える良いキッカケとなりました。

伊勢神宮は内宮(ないくう)と外宮(げぐう)に分かれて、それぞれに天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)という二柱の女神がお祀りされてます。日本の古神道のひとつの中心地であることに異論なく、古くからお伊勢参りとして日本人が生涯一度は目指した聖地でもあることは皆様ご存知通りでしょう。

そんな伊勢神宮の社殿が建築されたのは今から20年前の1993年です。はて、伊勢神宮が20年前に建造された?そう、私たちが伊勢神宮に出かけてお参りする社殿は20年前に作られたものだそうです。そして、今また新しい正殿が作られ、今年の秋(2013年10月)に天照大御神と豊受大御神の御神体は新しい社殿に遷御(せんぎょ)される予定になっています。

文化や宗教においては古いものほど価値があるように思われがちですが、伊勢神宮は常に社殿を清く(=新しく)保つことを良しとしてきました。20年一度、正殿のみならず、その他いくつもの社殿、倉、橋などすべての建造物が生まれ変わるのです。これが伊勢の「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」です。20年に一度建て替えるという文化が継承されて今年で62回、途中戦国時代などの中断を含めると、第一回式年遷宮が行われたのは持統天皇が統べていた飛鳥時代(690年)、実に今から1300年前です。大分昔からやっているお祭りですね。

どのような経緯と目的で20年ごとの式年遷宮が制定されたのかは諸説ありますが、様々な視点から見てみると、非常にうまくできた仕組みであることがわかります。もちろん、神道として神様を常若(とこわか)にお祀りするというのが、第一でしょう。しかし、日本的思想の真髄は、それらを生活や文化に溶け込ませることで、長く、強く生き残る点にあると個人的には思っています。

まぁ、私の推測ではありますが、一番大きな目的は宮大工という特殊な建築技術を長く継承することだったのではないかなと考えています。特に一世代20年と考えると、ますます20年での式年遷宮は技術継承を目的としたイベントなのではないかと思えてきます。1300年にわたって引き継がれてきたのは社殿そのものではなく社殿を作る技術です。結果的に私たちは持統天皇が生きた飛鳥時代と同じ伊勢神宮を目にすることができるのです。

もちろん大抵、宗教というものは永遠の美を目指すものです。西洋のキリスト教も良い例でしょう。地震が少ない当地の石の文化では、石で作られた頑丈な大伽藍によって永遠に続く美を表現しようとしました。逆に地震や台風など自然災害の多い日本で、私たちのご先祖様たちは、式年遷宮と言う方法で、こちらもまた永遠の美を保とうとしたのかもしれません。わかりませんが。結果的にそうなってます。

日本は北海道から沖縄までどこに行っても、神社があります。伊勢神宮や出雲大社に比べればもちろん小さなお宮さんです。しかし、これら全国津々浦々の神社がいつも美しく、清らかに保たれているのは、ひとつは伊勢神宮をはじめとしたいくつかの神社で、式年遷宮が守られているからではないかと思えるのです。式年遷宮があるから、日本にどのような文化や宗教が他国から流れ込んできても、飲み込まれることなく、むしろ良いところだけをうまく取り入れてさらなる文化的発展に役立てることができたのかもしれません。

明文化された教義や教典が存在しない神道だからこそ、宮大工は言葉ではなく、仕事を通じて神様への畏敬の念を持つことができたのではないでしょうか。そんな宮大工はきっと古くから日本人にとって最も誇り高い職業であったことは想像に難くありません。その宮大工が持ち得た思想こそが、私たち日本人に、労働は罰であり贖罪であるという考えではなく、働くことは神様との対話であり、崇高な行いである、という考えとして根付いたのかもしれません。

どれも憶測の域を出ませんが、ともかく生まれてはじめてのお伊勢様を見て、文化的、宗教的に優れているだけでなく、技術を継承するために文化に組み込んだ(ように見える)ロジックが非常に見事だなぁと思った次第です。

今年(2013年)は60年ぶりの出雲大社の式年遷宮も重なり、私たち日本人にとっては、浄化であり、生まれ変わりの年であり、新しいことを始めるに最高の年であると言えます。新しい正殿にお渡りになった神様たちが、きっと私たちの日々の頑張りを見守ってくださることでしょう。安心して色んなことにチャレンジしましょう。

伊勢神宮の木からセミのようにパワーを吸い取ってみる

強いけど忘れないパスワードの作り方

インターネット時代のセキュリティリスク

今月1日(2013年2月1日)ツイッターがサイバー攻撃を受けたそうです。原因は定かではありませんが、先日脆弱性が問題化したJavaの可能性もあるようです。サービス提供サイドとしてはセキュリティをこれまで以上に強化して欲しいところではありますが、僕たちユーザーも気をつけなくてはいけませんね。

では僕らが気をつけるセキュリティとは何でしょうか?最も身近で最も重要なのはパスワードです。サービスサイドがどれだけセキュリティを強化してもパスワードが簡単すぎ、短すぎだと、それだけパスワードは破られやすくなります。「誰が私のツイッターユーザーをわざわざ乗っ取るの?」なんて思っちゃいけません。サイバー悪党はたかがツイッターのアカウントから様々な悪さを働きます。

特に危険なのは次の2点。

なりすまし

たかがツイッター。しかし、不正にアカウントを乗っ取られ、勝手にパスワードを変えられ、自分はログインができない間に、好き放題されたらどうなるでしょうか。

他サービスへの不正侵入

メールアドレスとパスワードがひとつバレると、その他様々なサービスでも同じようにアタックされます。つまり複数のサービスに不正侵入されちまう確率が極めて高くなります。これだけ多様なサービスがあると、サービスごとにメールアドレスを変えたり、パスワードを変えたりしている人はほとんどいないと思います。メールアドレスやパスワードが増え過ぎても逆に管理できないのでセキュリティリスクとのトレードオフになっていることを忘れちゃいけません。

忘れない、でも強力なパスワードの作り方

今日飛行機に乗るちょいと前に空港で日テレのZIPをたまたま見たのですが、簡単に覚えられてかつ強力なパスワードを作るテクニックが紹介されていましたので、それと僕が大学時代に先生から教わったパスワードの作り方を合体させてメモしておきたいと思います。

基本は大文字・小文字・数字・特殊文字・12文字以上

例えば、小文字だけで、しかも実在する地名や名前、辞書に載っている単語だと、プログラムによる総当り(Dictionary Attack)でパスワードは解析されてしまいます。しかし、大文字・小文字・数字・特殊文字で12文字以上あると、その組み合わせは膨大になります。1人を解析するだけで何時間もかかるようでは、何十万人も解析することは実質不可能となるでしょう。だから、みんなが強力なパスワードにすることは、とても大切なことなのです。つまりこんな感じです。

ibO=qm9$t2N3

かなり強力なパスワードです。が、ちょっと覚えられっこありません。そこで実際に使うのは、このような乱数的なパスワードではなく、パスフレーズというテクニックです。

金沢

これをローマ字にします。ここでは金沢としましたが、自分のフルネームや、区市町村名とか、自分の好きな芸能人とかキャラとか、絶対に忘れないものであればなんでも良いです。

kanazawa

単語の最初と最後を大文字にします。これはルールです。ルールだと忘れないもんです。

KanazawA

最初のaを@に変えます。変換するのは最初の1個だけか、全部か、どちらかです。中途半端にすると混乱します。こちらも自分の中で「最初のaだけ@にする」とか「aはすべて@にする」というルールにしておきましょう。

K@nazawA

ハイフンと誕生日をくっつけます。誕生日じゃなくても車のナンバーとか電話番号の下4桁とか絶対に忘れないものならOKです。これも統一するようにしましょう。パスワードによって車のナンバーだったり、誕生日だったりでバラバラにすると必ず混乱するものです。

K@nazawA-1031

そしてサービス名やカテゴリ特有の文字をくっつけます。これによって強力なパスワードでありつつも、複数のサービスで管理できるうまい方法ですね。

<SNS用のパスワード>

K@nazawA-1031-SnS

<ツイッター専用のパスワード>

K@nazawA-1031-TwitteR

<その他サービス用のパスワード>

K@nazawA-1031-[Another service namE]

僕の場合は、さらにこの後に一番最後は!とか$で終わるというルールにしています。<例:K@nazawA-1031-SnS!>とりあえずパスワードはまずはルールを決めてから作るというのが鉄則です。適当に作ったパスワードは必ず忘れます。忘れるから簡単なパスワードにしたり、メモ帳に書いたりしちゃうんですね。忘れないけど、強力なパスワードを作ることは可能です。特にクレジットカードや住所・電話番号などの個人情報を登録しているサイトは、必ず強力なパスワードにすることと、他のサイトで使っているパスワードを再利用しないことは徹底するようにしましょう。

インターネット上での自分の身は自分で守るしか無い

インターネットは便利である反面、悪用するにもとても便利なツールです。繰り返しますが、僕らユーザーが自分の身を守る最も重要で、そして簡単な方法はパスワードを強力にすること、そしておかしなWebサイトやメールは開かない、リンクはクリックしないことです。ぜひ、このエントリーを見て、ご自身のパスワードを思い返してみてください。ヤワなパスワードだと思ったら、今すぐに変更しましょう。

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