なぜだかビジネスの世界にいると全体最適という言葉をやたらと聞きます。僕だけではないはずです。確かに、これは成長期にある製造業や、決められた仕事をキッチリこなすことが目的の仕事(つまりお役所的な)などではムダをなくして効率化を図るというのは、良い考え方なのかもしれません。
しかしながら営業、マーケティング、あるいは商品開発のような主たる業務が知的生産である人にとって「業務の最適化」なんてのは一体どれくらいの効果が見込めるもんなのでしょうか。バラバラよりも理路整然としている方が安心という発想は多分に日本人的ですが、かと言って知的生産者を工場のアセンブリラインのように並べて、もっともっと効率的にアイデアやプランを出せって言っても、そんなに都合よく出てくるものでしょうか。
全体最適と言うのは、ともすれば個人から自由な行動や発言を奪い、全員が同じように考え、同じように行動するように管理・統制を行う全体主義を生み出しかねません。効率化は少しくらいできるかもしれませんが、その代わり組織は硬直化し、柔軟性を失うことになるでしょう。正直なところ、そんな環境で仕事をして本当に楽しいでしょうか。それとも仕事ってのは楽しいものではなく、やっぱり苦行なのでしょうか。
こんな風になってしまうのは、決して会社が悪いのではありません。もちろん誰か特定の個人が悪いわけでもありません。不景気や業績の悪化が目立ち始めると、どうしても人は自己防衛的に、自ら全体主義の一員になることを求めてしまうようです。これはなにも個人だけではなく、法人であっても(金融機関の貸し渋りが良い例)、国家であっても(ブロック経済化が良い例)全く同じことが言えるのです。
個人が組織内で保身を図る理由は「みんなと同じことをしていれば減点されないから」であり「新しいことをやるリスクと責任を背負いたくない」からです。言葉に出さなくても、このような雰囲気は少しずつ組織に蔓延し、知らず知らずのうちに、個人からチャレンジ精神を削いでいきます。組織にとって真の危機とは売上が減ることではなく、それ以上に、組織からチャレンジ精神がなくなっていくことです。
では、人や会社が悪くないのだとしたら、一体何が悪いのでしょうか。僕たちはそれは組織の運営方法が古くなったせいだと考えています。技術的なイノベーションに合わせてコンピュータやネットワークを導入したように、組織の運営方法も時代に合わせて、新しいものを採用していくべきではないかと考えています。
伝統的な管理ツールの限界
ハーバードビジネスレビューの2008年8月号に、非常に面白い記事が掲載されていたので、ご紹介します(と言っても手元に雑誌があるわけではないので、覚えている限りのご紹介ですが、、、)。それはフェア・プロセスと題した記事で、ブルーオーシャン戦略で有名なハーバード大学のチャン・キム教授が執筆したものです。これは教授が1997年に発表した論文「フェア・プロセス」を元に書かれています。そこでは、組織のあり方を、管理された組織から、学習する組織へと転換するために、経営者が取るべき評価制度と、両者の違いが解説されています。
チャン・キム教授は、これまでの管理手法を「分配的公正(Distributive Justice)」と言い、新しい管理手法を「手続き的公正(Procedual Justice)」と呼びましたが、この二つの組織運営において「管理手法:Management Tool」「社員の態度:Attitude」「行動:Behavior」「業績:Performance」の4つの視点からその違いを見てみましょう。(図1参照)
- 管理手法
一般的に会社から個人への評価といえば「給与」「昇給」「ボーナス」の3本が柱です。しかしこれだけで部下を管理するのはちょっと現代では厳しいんじゃないでしょうか? このような伝統的な管理手法に対して、フェア・プロセスは「エンゲージメント」「情報の開示と説明」「明確な期待」という3つの要素が入ります。明確な数値化ができる給与や昇給ではなく、未経験な仕事へのチャレンジする権利や、デカイ仕事を任せてもらえるかもしれない権、などイマイチ数字にするのが難しいけど、ワクワクするとかやりがいがある、というような要素です。ドラゴンボール世代であれば悟空がいつも「オラ強い敵に会うとワクワクすんぞ~」と言っていたのを思い出すはずです。これこそがエンゲージメントです。トヨタの5S活動やカイゼンがうまく行ったのは、まさにこのようなカネや地位では測れないインセンティブがあったからではないでしょうか。 - 態度
伝統的な管理ツールの場合、会社からの評価に対する態度は「得られて当然の報酬である」という反応になります。”目標を立てて、それをクリアした、だから満額のボーナスを頂く、これ当たり前である”って感じです。しかし実際のところ「自分の意見が採用された」「私の考えが認めてもらえた」という会社や周囲からの信頼というのは、金銭と同等かそれ以上の満足を得ることができるものです。 - 行動
「今ドキの若い人は、言われたことしかやらない」なんてよく言われます。言われていた世代の立場として反論すると、そんなもん当たり前っすよ。なぜならば、部下がヘタなことをして失敗でもされようものなら、自分の責任問題になりかねないから、部下にリスクは取らせない、という上司の下で、言われたこと以外の仕事なんてできるわけないですよね。あくまで悪いのは上司でも若者でもなく、失敗に厳しい減点方式の伝統的な評価制度を続ける経営にこそ問題があると考えるべきでしょう。フェア・プロセスはインセンティブが会社や同僚たちからの「信頼」ですから、言われなくても自発的に行動に移すことができます。言われた以上のことができるのは、金銭のためではなく、ともに働く同僚やチームのためだからです。金銭だけではやがて限界がくるんです。 - 業績
伝統的な管理手法では年度の始めなどに目標シートを自分で記入し、年度末にその達成度を見てもらうことになります。当然で
すがこのような業績評価の場合、はじめから100%の達成が見込める項目を目標シートに記入することになります。完全な出来レースです。しかも120%も達成してしまうと来年度の目標シートが厳しくなるので、本来120%の成果が出せそうであっても、100%に調整してしまうような力が働きます。そんな中で果たして誰が「どう考えても達成は無理だけど会社としてやる価値はある」という項目を目標シートに記入するでしょうか。みんなうまいこと100%達成して、一番チャレンジングな目標を立てた人が、達成度が低いという理由で評価がC-になるというのは健全なのでしょうか。フェア・プロセスの場合、報酬が「面白い仕事にチャレンジする権利(エンゲージメント)」ですから、やる気のある社員にとっては、躊躇なく期待以上の働きをすることができます。
その結果は図の下にあるグラフの通りなのですが、これは何を表しているかと言うと、
- 伝統的な組織運営と評価制度では、いくら人数を増やしても、一定の限界を超えたところで成果は頭打ちになる
ということです。義務的な協力以上は自動的にストップがかかる組織で飛躍的な成果が得られるはずがありません。知的生産の現場は、多くの人たちが、それぞれ違った役割を持って、違う仕事をしています。部署を超えて集まり、チームを組んで、一つの目標に向かっているわけです。これを年度末の業績評価で、わざわざ個人の成果に分解して、伝統的な評価制度で個人をランク付けしようっていうんだから、そりゃ難しいのは当たり前ですよね。
ちょっと長くなってしまいましたが、今回お伝えしたかったのは「伝統的な評価制度は、どうしても『全体最適』を志向してしまう」という点。そして「全体最適は例外なく組織からチャレンジ精神と独創力を奪ってしまう」という点、さらには「チャレンジ精神なくして大きな成果や成功を収めることはできない」という点。
硬直化が進行した組織で、決まってよく使われるフレーズがあります。
「優秀なヤツから辞めていく」
この言葉が聞こえてくる組織は、少しばかり変革の時期に来ているのかもしれませんね。
筏井哲治(Tetsuharu IKADAI)
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