BigData EXPOの事例として紹介されました!

2/26,27の二日間にかけて東京で行われている「BigData EXPO 2014 Spring」の講演にてピアズ・マネジメントが事例として取り上げられました!
ビッグデータ時代といわれている中で、北陸という地、少人数の会社でどのようにビッグデータに取り組んでいるか。必見です。

ピアズ・マネジメントは本気で世界を相手にビジネスに取り組んでいます。
講演に使用されたPreziをぜひご覧ください。ビッグデータとはについても非常によく描かれておりますので、ほんと必見です。

※スマートフォンではうまく表示されないこともありますので、ぜひパソコンでご覧ください。

演繹法と帰納法の違いを理解しよう!

ロジカルシンキング、二つのタイプ

ロジカルシンキングと一口にいってもタイプは大きく二つあります。

 

一つはソフトウェア開発で使われるような考え方、つまり大きなカタマリを少しずつ、もれなくダブりなく(MECE)分解していく考え方。もう一方は数学で登場するような有限の事象を複数組み合わせることで有限ではない(多くの場合無限)領域の振る舞いを証明するタイプの考え方ってことになります。

 

この最初の考え方を演繹法(えんえきほう)といいます。そして後者の方を帰納法(きのうほう)と言います。

 

 分析と説明で価値を発揮する演繹法

ロジカルシンキングはもちろん、ソフトウェア開発や数学の証明だけでなく、仕事において報告書やレポートを書く時にも、十分に活用できるものです。ちなみに、ロジカルシンキングではよくロジックツリーとか、なんとかフレームワークとか、なんちゃらマトリクスとか、そんな感じのものが多数登場してきます。

 

たとえば、僕が「戦略思考の教科書」で解説したマイケル・ポーター先生が考えた「5フォース分析」やリタ・マグレイス先生が考えた「アトリビュート分析」なんてのは本当に素晴らしいフレームワークで、これらは僕自身今もしょっちゅう活用しています。

 

とは言え、これらはすべて演繹法である点に気づかねばなりません。分析的、そして説明的な場合に演繹法は実に強力なツールになるのです。これはとても重要な点です。

 

ちなみに、報告書は結論から述べることが良しとされています。結論を書き、その過程を簡潔に追記しておくことが読み手にとって最もわかりやすい報告書になります。本の中では、報告書は「ヒト、モノ、カネ、時間」(演繹法)に分けて報告せよ、と書きました。

 

でも、営業やプレゼンテーションでは、少し事情が異なってきます。なぜならば営業の場合、ほとんど結論が決まっているからです。そう「今、10%引きのキャンペーンやってるんで、買ってください」、これが結論です。これを最初に言って、本当に買ってくれる人がいるならばラッキーです。

 

大抵の場合、別に今はいらねー、とか、興味ねー、とか、売り込みはお断り、って言われて終わります。

 

コミュニケーションで価値を発揮する帰納法

そこで登場するのが「帰納法」ってことになります。ロジカルシンキングと言えば演繹法というイメージがありますが、実は演繹法と同様にコミュニケーションにおいて重要なのが帰納法だったりします。実際のところ、やり手の営業マンやプレゼンター、とくにユーモアがあってスマートな人ってのは、この「帰納法」を駆使している場合が多いです。複数の事象を並列に並べることで、相手をある一定の結論に導きます。そして実はそれがミスリードになっていて、相手の期待を裏切る、そこで笑ったり、驚いたり、気づきを与えたりするわけですね。

 

<居酒屋にて>

事象1:上司:とりあえず生ビールで良いか?

事象2:平社員:いえ、私はちょっと、、、飲めないんで、、、

事象3:上司:そうか、ソフトドリンクもあるよな

 

ここで平社員の言葉「いえ、私飲めないんで」というのは「生ビールで良いか?」を受けての応えなので、当然ながら<俺の部下は酒ダメなんだな>って思うわけですね。そこで平社員が続けるわけです。

 

事象4:平社員:では、私は熱燗でお願いします

 

これがミスリードです。上司は心の中で『酒飲めねーのか。。。』とかなんとか思っていたところ、逆に『なんだよ、酒飲めるのか!ってか大好きじゃねーか』って感じで、一気に好感度が100倍になるわけですね。これはちょいと極端な例かもしれませんが、帰納法は優れたコミュニケーターが持つごく基本的なスキルです。

 

よくユーモアがある人は賢い、などと言われますが、これはあながち間違いじゃないってことですね。そして、重要なポイントは、これは決して飲み会スキルではなく、日々の商談においても使えるテクニックってことです。

 

<システム導入の商談にて>

事象1:Aという機能は最新の技術が詰め込まれている

事象2:B社はAが搭載されたシステムで1000万円かけて導入した

事象3:C社もA搭載されたシステムを導入しようとしている

事象4:私は今回Aよりもさらに高機能が搭載されたA’をお持ちしました

 

このような話をすると聞き手は、Aを導入するのに1000万だから、A’はさらにお高いんだろうと考えるはずですね。そこで、

 

結論:しかも価格はAよりも3割も安く、使い方はより簡単でシンプルなんです

結論’:今ならさらに10%の期間限定割引き中です

 

と言えば、予想を良い意味で裏切ることになり、え?どうゆこと?ちょっともう少し詳しい話を聞かせてくんない?って言われる可能性がグッと上がるでしょう。しかし、実際のビジネスの現場では、これとは全く逆の順で提案されることが多いわけです。

 

<ダメな順>

結論→事象4→事象3→事象2→事象1

 

これでは、相手の感情を揺さぶることはできないですよね。演繹法も帰納法も同じロジカルシンキングですが、こと商談の場にいおいては、今から自分はどちらのタイプを使ってコミュニケーションを取るのか、自分で自分の発言をしっかりとコントロールできていれば、商談をスムーズに進めることができるでしょう。

 

<良い順>

事象1→事象2→事象3→事象4→結論

 

なぜか日本では「報告は結論から言え!」みたいなつまらない理屈がまかり通り、つまらない報告書が溢れかえってます。しまいには、新製品などの提案まで「提案は結論からやれ!」みたいな感じになっちゃってるわけです。本当は提案やらプレゼンテーションってのは、もっともっと創造性があって良いものだと思っています。

 

帰納法を使うには勇気が必要である

 

あの営業マンの話はホント面白いわーって思ってもらえるようなプレゼンテーションは「提案は結論から」という既成概念に縛られている人には作ることは難しいと思います。まずは既成概念をぶっ壊しましょう。それができたら帰納法を駆使した面白いストーリーを作ってみましょう。何より大切なことは、これまでやったことのない新しいスタイルのプレゼンテーションにチャレンジする勇気かもしれませんね。

 

そして、このようなプレゼンテーションが出来た時に Prezi のようなプレゼンテーションツールの価値は100万倍になるのです。

 

論理的思考能力を鍛える

今やビジネスマンに常識となったロジカルシンキング

ロジカルシンキングという言葉が一般化し始めたのはたぶん2000年前後だったような気がします。僕がまだ青二才の学生さんだった頃で、マッキンゼーという世界で最も有名なコンサルティングファーム出身のバーバラ・ミントさんって人が書いた「考える技術・書く技術」という本によって一気に市民権を勝ち得たのではなかろうかと。わかんないけど。

MECE(ミーシー)なんて言葉が登場するのも、きっとそのあたりだったのではないでしょうか。たぶん。もちろん、僕個人としては、このロジカルシンキングって考え方は極めて重要で、かつ人間は思考する存在でありますから、全員がマスターすべき基本的なものだと思っています。できれば小学生くらいからロジカルシンキングのトレーニングを行うべきじゃないかと思ってます。

ロジカルシンキングは日本語でいうと論理的思考と言われてますが、その言葉の通り、元を探れば論理学って学問領域に入るのではないかと思います。ちなみにロジックの語源はロゴスです。そのロゴスを研究していたのはアリストテレスですから、さらに大きな領域で言えば論理学は哲学とも関係してきたりします。ロジカルシンキングというのは、決して最近のビジネス用語ではなく、大分昔から研究されていた学問なわけですね。

コンピュータを操るために絶対に必要な能力

文章の作成やプレゼンテーションの作成において、とても重要になるロジカルシンキングではありますが、これを鍛えるのは実際のところ、結構骨が折れます。戦略思考の教科書でも可能な限りロジカルシンキングについてわかりやすく解説しましたが、僕自身、これが鍛えられたのは間違いなくプログラミングを通じてです。プログラムは人が指示したコードの通りにしか動きません。正常な処理も、エラーも、バグもすべてコンピュータがロジック通りに動いた結果です。

現在ではプログラムを学習するサービスも多数出てきていますので、特に学生さんは将来プログラマになるならないに関わらず、論理的思考能力を鍛える上でプログラムを学習するのが良いのではないかと思います。知的生産業務に関わる上で、論理的思考をベースに仕事が出来る人と、それがない人では間違いなく大きな差がつくでしょう。それは報告書をひとつとっても言えることです。ロジカルシンキングを知っているのと、理解できているのと、当たり前のように使いこなすことは全く別物です。そして当たり前のように使いこなせるようになるには、実際に使う以外にないような気がします。筋トレと同じ。

ドットインストール

http://dotinstall.com/

コーディング道場

http://www.coding-doujo.jp/

Codecademy

http://www.codecademy.com/ja#!/exercises/0

当たり前の中に潜む矛盾に気づくこと

論理的思考能力が鍛えられてくると、現代のビジネススキルとして出回っているロジカルシンキングが実は少しばかり片手落ちであることにやがて気がつくことになるでしょう。それは実際に僕自身がIT業界に長らく身を置き、様々な業務を通じて感じたことです。例えば先日ポストした「PDCAは回らない」というのも、その一つです。一見ロジカルなように見えて、ロジックが通っていない、そのようなケースはビジネスの現場でよく見られるものです。そして、そのような矛盾を感じ取れるようになることが、本当にロジカルシンキングが身についた、と言えるのかもしれません。

このあたりについてはまた追々取り上げていこうと思います。

PDCAが回らない5つの理由

PDCAの時期がやってきた

4月1日は新年度のはじまりってことで、多くの企業で今期の目標やら計画なんかが発表されていることと思います。4月1日ほど日本中で「PDCAをしっかり回していきます!」って叫ばれている日はないでしょう。それに4月1日は新入社員がはじめて会社に行く日ですよね。「社会に出たらホウレンソウとPDCAはキホンだ!」教わったことでしょう。そうです。PDCAは日本の企業社会で生きていくためにとても重要な言葉です。おまじないです。南無阿弥陀仏と同じです。とりあえず唱えとけ、みたいな。

ちなみに僕はマイクロソフト勤務時代から一貫した思想として、セールス、すなわち営業という業務について言えばPDCAはダメだと思っています。僕自身当時から独立した現在も何か物事を始める時にPDCAで考えたことは一度もありません。その理由は「よくわからない」の一言に尽きます。そして、よくわからないのに、みんなが当然わかっているものとしてPDCAを唱えるのに、僕は違和感を感じるワケです。

本当は多くの人が知的生産業務ではPDCAはうまく回らないってことに気づいていると思うので、その理由を5つほど挙げてみたいと思います。

その1 PDCAそれぞれの意味を完全に説明できる人がほぼいない

PDCAが PLAN-DO-CHECK-ACTION の頭文字を取ったものであることは、ほとんどの人が知っていると思います。しかし、それぞれの意味を説明せよ、と言われるととたんにわからなくなるところがPDCAの落とし穴です。Planが計画ってのはわかりますよ。Doが実行ってのもわかります。問題は次です。Checkって何でしょうね。もちろん検証ってことなんでしょうけど、セールスにおいて検証って何でしょう。売上報告を作ることでしょうか。確かに売上レポートをCHECKすることは重要でしょう。もちろん、売上が目標を達成しているのであれば、CHECKは無事クリアとなり、より良い顧客満足のためにさらなる付加価値提案活動(Action)をすれば良いでしょう。しかし、もしCHECKの段階で目標を達成していないとなると、一気に問題は複雑になります。1社、1社のアカウントプランを作り直すのか。重要顧客を抽出するような集中型で行くのか、それとも幅広いマーケティング活動に切り替えるのか。そもそも、期中にイベントや展示会への出展などの予算を切り替えることが本当に可能な経営になっているのか根本的なところに行き着いちゃうに決まっているワケです。そもそもPDは「計画して実行」なのにCheckの後のActionは「Checkの結果を元に計画を修正し実行する」ってことで「PD≒A一文字」なのも、なんとなく納得出来なくないですか。

その2 PDCAはみんな独自の解釈と理論を持っている

PDCAは非常にシンプルな言葉で、しかも一見わかりやすいので、中小企業から大企業までみんなPDCAを言うわけですが、実は一人ひとりその解釈が違っていたり、独自の理論を持っていたりするので共通言語として成り立っていないケースが目立ちます。特に大きなズレが生じるのが、これまたCheckとActionです。売上レポートを作成し報告することがCheckでしょうか。それとも1案件ごとに計画(Plan)とのズレを事細かにチェックすることがCheckなのでしょうか。契約に至るプロセスを一挙手一投足までいちいち報告することがCheckなのでしょうか。これはCheckに対する「粒度」が統一されていないことから生じる齟齬です。特に最悪なのは、売上が予想を下回っている時に上司が、そのさらに上の上司へ報告(言い訳)するために、理由(言い訳)を必要とし始めた時です。こうなると、必然的にCheck(言い訳)の粒度は段々と細かくなり、状況が悪くなればなるほど報告のための報告が増え、自由とゆとりはなくなり、マイクロマネジメントという最もモチベーションが下がる由々しき状況に陥ることになるのです。Checkの粒度は統一し、個人の独自の理論や見解が入らないようにしておかないとPDCAはやはりおかしなことになるでしょう。さらに言うとCheckを元に次の変更を加えるのがActionで、その次にまたPlanに戻るんですね。では2周目のPlanを再度作る時は、その前のActionの結果をCheckしなくても良いのでしょうか?これもちょっと納得できません。現実を鑑みれば PDCACACACPDCACACACACPDCA,,,,という感じになるのはないかと思います。つまりPDCAはサイクルではないってことです。ってか、よく考えてみると、この解釈がすでに僕独自のものになっちゃってますね。ほらね。

その3 PDCAをしっかりやりますって言えば良いと思っている

PDCAという言葉自体が免罪符になっているケースも見受けられます。「PDCAをしっかりやります」というのが実際には「頑張って営業に行きます」とイコールになっちゃってる場合が多いような気がします。PDCAが重要と言いながら、走りながら考えよう、とか、とにかく足で稼ごう、とか言い出すのは一体どういうことでしょうか。それはPDCAではなくKKD(勘と経験と度胸)って言います。本来PDCAはもっと科学的で、属人性や感情論とは切り離されたロジカルな行動理論のはずです。もしどうしてもPDCAでやるというのであれば、マネジメントは「頑張るのが大嫌いな人」に任せるべきです。営業は知的生産活動です。付加価値を明確にし、それを伝え、その価値に見合った対価のハンコをもらってくるのが営業の基本です。頑張るのが嫌いな人は、何度も何度もお願い営業に出かけることを好みません。代わりに付加価値の明確化やコミュニケーションの仕方を徹底的に練り、そのスキルアップに努めるでしょう。コミュニケーションやプレゼンテーションのやり方こそPDCAで改善していくべきものなのです。

その4 PDCAを意識して仕事をしている人がほぼいない

期が始まる時は皆が思いを新たに計画を立て、それをPDCAで回していきますって宣言するんです。ビジネスにおける期初のPDCAって言葉は、新年の抱負に出てくるダイエットって言葉みたいなもんです。大体1ヶ月と経たないうちに忘れ去られていくのです。もしPDCAのサイクルがMECE(もれなくダブりなく)なのであれば、僕らがこなしている仕事の一つひとつがそれぞれ、P、D、C、Aのどれかに必ず属しているはずです。特に売上レポートや営業の進捗の確認、つまりCheckの後、本来は次善策を作るというプロセスに移行しなくてはならないはずなのに、また明日から何事もなかったかのように顧客に振り回される日々に戻っていくのです。Checkの次はAction(別の手を打つ)なのにDo(これまで通り)を続けてしまう。なぜでしょうか。それはみんなPDCAって言葉を忘れちゃってるからなのです。

その5 PDCAを回す、みたいな言い方をするけど回らない

PDCAはスパイラルアップを前提としたイテレーションモデルです。すなわち「改善」が求められるような作業にこそPDCAは向いているのです。だから営業活動という点では「提案資料の内容」や「プレゼンテーションスキル」などはPDCAで改善させていくのは大いにありでしょう。でも「今期営業予算達成のためにPDCAを回す」というのは、言葉的にどう考えてもおかしいことに気づかなくてはなりません。そのような漠然とした営業活動に対してPDCAなんて言って本当にぐるぐるPDCAが回っている組織を僕は見たことがありません。特にPDCAのうちPばっかりこねくり回して、全然Dに行かないというケースは至る所で見かけます。逆にもし本気でPDCAを営業活動に適用しようとするならば、営業活動とは別の仕事(報告、計画立案)が激増するだろうし、それに合わせて柔軟でスピーディな意思決定ができる経営に変えていく必要があるんじゃないかと思います。

Productivity、Creativityは車の両輪

元々PDCAはアメリカの統計学者であったエドワーズ・デミング博士が、敗戦後の日本において工業製品の品質改善モデルとして提唱した理論です。実際に製造業においてPDCAは基本的な考え方となり、高度成長期の日本製品の高品質化に大きく貢献したことは事実です。製造の現場では、無駄を減らし、不良品を減らすことが何より大切です。日本製品の優位性はまさにそこにあり、高品質でありながら、短納期、低コストを実現することが成功への近道だったのです。PDCAの目的はProductivity(生産性)とQuality(品質)であり、その生まれからして「無駄」や「失敗」や「予定外」を嫌う思想なのです。これが営業の現場にそのまま持ち込まれればどうなるかなんて簡単に想像出来ますよね。営業はお客さんありきの仕事です。こっちがいくら詳細な計画を立てようとも、お客さんがその計画通りに動き、予定通りのタイミングで契約してくれる、なんて都合の良いことはなかなか起きないし、もし起きたとしたら、それは「計画が良かった」わけではなく「運が良かった」と考えるべきです。マーケティングや営業は今様々なテクノロジを活用して採れる戦術の幅がとても広くなっています。これまでは不可能と思われるような顧客にもリーチできる時代になりました。僕は営業には必ず成功するというモデルは存在しないと思っています。成功の数だけパターンがあるのです。だからこそ重要なのは発想力であり、好奇心であり、探究心であって、これらがCreativityに繋がるのではないかと思います。

PDCAからEAチェーンへ

僕自身がマイクロソフト勤務時代に営業活動において基本としていた思想が、リデル・ハートの「間接アプローチ戦略」、そしてJ・C・ワイリーの「順次戦略と累積戦略」です。どちらも軍事思想家が著した戦略概論ですが、ここから得られる示唆は非常に富んでいて、ビジネスでも活用できる考え方がたくさんあります。書籍の内容はまた別の機会に譲るとして、これらの英知と実際にそれを実践して生まれた僕らの行動原理が「EAチェーン」ってワケです。EAチェーンとは「実験(Experiment)」と「適用(Adapt)」を繰り返すということです。営業における新しい取り組みをとにかく実験的にやってみる。お客さんのために提供できること、提案できること、貢献できることを考え、それを実験的にやってみるってことです。実験であれば、誰も失敗しません。あるいは失敗さえも学びになります。うまくいくならば、以後営業活動に適用させます。たくさんのおもしろ実験をみんなで考え、次々に実行していくことです。どのように実験を進めるか、予想通りに行かなかった場合はどのように対応すべきか、その行動規範は、リデル・ハート先生の「戦略の八原則」に従うことで、成功率は飛躍的に高められるでしょう。PDCAとEAチェーン一体どこが違うのか?確かにプロセス自体は非常に似ているのは間違いありません。しかし、思想としての根っこが違う点が重要なのです。PDCAは失敗や不良を減らすための収束型の思想です。EAチェーンは失敗しても良いから独創的な実験を考え、その体験を通じて様々なことを学ぶ発散型の思想です。

PDCAという言わば常識に縛られることなく、独創性で勝負する営業チーム、これが今日本のビジネスで最も求められているのではないでしょうか。営業こそクリエイティビティですよ。自由な発想で提案活動を行うのです。ずいぶん長くなったので今日はこれまで。ちなみにリデル・ハートの戦略論からEAチェーンまで、戦略思考の教科書にすべて書いたような気がします。ぜひ暇な人はチェックしてみてくださいね。

伊勢神宮と技術継承

 

伊勢神宮 内宮

先だって生まれてはじめて伊勢神宮にお参りに行って来ました。これまで神社といえば、近所か観光地かというくらいしか、あまり行ったことがなかったので、今回の伊勢神宮参拝は色々と日本を考える良いキッカケとなりました。

伊勢神宮は内宮(ないくう)と外宮(げぐう)に分かれて、それぞれに天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)という二柱の女神がお祀りされてます。日本の古神道のひとつの中心地であることに異論なく、古くからお伊勢参りとして日本人が生涯一度は目指した聖地でもあることは皆様ご存知通りでしょう。

そんな伊勢神宮の社殿が建築されたのは今から20年前の1993年です。はて、伊勢神宮が20年前に建造された?そう、私たちが伊勢神宮に出かけてお参りする社殿は20年前に作られたものだそうです。そして、今また新しい正殿が作られ、今年の秋(2013年10月)に天照大御神と豊受大御神の御神体は新しい社殿に遷御(せんぎょ)される予定になっています。

文化や宗教においては古いものほど価値があるように思われがちですが、伊勢神宮は常に社殿を清く(=新しく)保つことを良しとしてきました。20年一度、正殿のみならず、その他いくつもの社殿、倉、橋などすべての建造物が生まれ変わるのです。これが伊勢の「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」です。20年に一度建て替えるという文化が継承されて今年で62回、途中戦国時代などの中断を含めると、第一回式年遷宮が行われたのは持統天皇が統べていた飛鳥時代(690年)、実に今から1300年前です。大分昔からやっているお祭りですね。

どのような経緯と目的で20年ごとの式年遷宮が制定されたのかは諸説ありますが、様々な視点から見てみると、非常にうまくできた仕組みであることがわかります。もちろん、神道として神様を常若(とこわか)にお祀りするというのが、第一でしょう。しかし、日本的思想の真髄は、それらを生活や文化に溶け込ませることで、長く、強く生き残る点にあると個人的には思っています。

まぁ、私の推測ではありますが、一番大きな目的は宮大工という特殊な建築技術を長く継承することだったのではないかなと考えています。特に一世代20年と考えると、ますます20年での式年遷宮は技術継承を目的としたイベントなのではないかと思えてきます。1300年にわたって引き継がれてきたのは社殿そのものではなく社殿を作る技術です。結果的に私たちは持統天皇が生きた飛鳥時代と同じ伊勢神宮を目にすることができるのです。

もちろん大抵、宗教というものは永遠の美を目指すものです。西洋のキリスト教も良い例でしょう。地震が少ない当地の石の文化では、石で作られた頑丈な大伽藍によって永遠に続く美を表現しようとしました。逆に地震や台風など自然災害の多い日本で、私たちのご先祖様たちは、式年遷宮と言う方法で、こちらもまた永遠の美を保とうとしたのかもしれません。わかりませんが。結果的にそうなってます。

日本は北海道から沖縄までどこに行っても、神社があります。伊勢神宮や出雲大社に比べればもちろん小さなお宮さんです。しかし、これら全国津々浦々の神社がいつも美しく、清らかに保たれているのは、ひとつは伊勢神宮をはじめとしたいくつかの神社で、式年遷宮が守られているからではないかと思えるのです。式年遷宮があるから、日本にどのような文化や宗教が他国から流れ込んできても、飲み込まれることなく、むしろ良いところだけをうまく取り入れてさらなる文化的発展に役立てることができたのかもしれません。

明文化された教義や教典が存在しない神道だからこそ、宮大工は言葉ではなく、仕事を通じて神様への畏敬の念を持つことができたのではないでしょうか。そんな宮大工はきっと古くから日本人にとって最も誇り高い職業であったことは想像に難くありません。その宮大工が持ち得た思想こそが、私たち日本人に、労働は罰であり贖罪であるという考えではなく、働くことは神様との対話であり、崇高な行いである、という考えとして根付いたのかもしれません。

どれも憶測の域を出ませんが、ともかく生まれてはじめてのお伊勢様を見て、文化的、宗教的に優れているだけでなく、技術を継承するために文化に組み込んだ(ように見える)ロジックが非常に見事だなぁと思った次第です。

今年(2013年)は60年ぶりの出雲大社の式年遷宮も重なり、私たち日本人にとっては、浄化であり、生まれ変わりの年であり、新しいことを始めるに最高の年であると言えます。新しい正殿にお渡りになった神様たちが、きっと私たちの日々の頑張りを見守ってくださることでしょう。安心して色んなことにチャレンジしましょう。

伊勢神宮の木からセミのようにパワーを吸い取ってみる