リデル・ハート戦術論に学ぶエイプリルフールのブログ活用術

By 2013/04/02 No tags Permalink

エイプリルフールまとめ

昨日のエイプリルフールは一年で最も多くのおもしろブログ、ネタ記事、特設Webサイトが公開される日です。特にライフネット生命の副社長、岩瀬さんが書かれたMr.エクジットはウィットが富んで面白かったです。

【速報】ライフネット生命、英語公用語化を決定-ライフネット生命 副社長 岩瀬大輔http://blog.livedoor.jp/daisuke_iwase/archives/6411921.html

アミーズ、amidroid 7(アミドロイド セブン) 革命的な次世代スマートフォン!! http://amiz.jp/20130401/pc/

ショッカーがサイボウズを採用 https://www.cybozu.com/sp/shocker/

ピザ缶(ドミノ・ピザ) http://www.dominos.jp/topics/130401_a.html

「モテ服の常識が変わる」 ~2013年、春。メンズファッションプラスは進化します。 http://mensfashion.cc/fs/mensfashion/c/20130401

戦術論に学ぶエイプリルフールブログ術

では、ピアズ・マネジメントはどのような記事を書いたかというと、ブログを書きませんでした。なぜなら、戦略思考の教科書でおなじみのリデル・ハート先生が提唱した間接アプローチ戦略によるエイプリルフールを避けるべしとの結論がでたからです。

1.目的を手段に適合させよ
難しくてよくわからないですが、「無茶をするな」ということらしいです。エイプリルフールには、知名度が高い会社が面白い企画を大量に公開する日です。中途半端な企画物を作成しても埋もれるのが落ちでしょう。精神的、肉体的な消耗をしてはいけませんとリデル・ハート先生も口を酸っぱくして仰っています。

2.目的を常に念頭に置け
ブログを書く目的の一つははてぶブックマークに掲載されることです。エイプリルフールは強力なライバルブログが溢れています。

3.最小予期戦を選択せよ
多くの企業はエイプリルフール戦役に全戦力を投入して、雌雄を決する戦いをします。真っ向勝負するのはとても危険です。最も低い抵抗線であるエイプリルフールの次の日をターゲットと決めます。

4.最小抵抗線を活用せよ
最小抵抗線を選択した後、防御が手薄なネタを選択します。エイプリルフールネタがよいと当たりをつけました。

このように、リデル・ハート先生の戦術論は戦争以外にも様々な用途に応用できます。

とりあえずブログを書いてみる

ブログを長期間続けるのはなかなか大変です。ブログは費用対効果が不明瞭で、またネタを考える必要もあり、時として三日坊主で終わってしまうかもしれません。かくゆう僕自身が日頃三日坊主をしてしまうタイプですが、たとえ3日しかブログが続かなくても1週間休んでまた三日坊主をすれば1ヶ月で9記事を発信することができると考えたら、三日坊主も怖くありません。三日坊主を恐れずに、自分のアウトプット、企業の情報発信のためにブログを始めてみてはどうでしょうか。

幸い日本は、「春はあけぼの」、「夏は夜」、「秋は夕暮れ」、「冬は早朝」(清少納言)、と千年と変わらず書くことに事欠きません。日本に長くいると四季の有り難みを忘れがちですが、フィリピン留学中に、四季の話をしたら大変驚かれたものです。自分のまわりを常に新鮮に感じるためにもブログは役に立つのではないでしょうか。

クールジャパンをお仕置きキボンヌ

世界に広がるクールジャパン

21世紀日本の主要産業は何になるでしょうか。自動車、家電、精密機器の分野で日本は世界トップレベルの技術があります。しかし、目下、発展途上国の安い人件費、為替リスク、テクノロジの平準化によって、競争はますます熾烈で、厳しいものになるでしょう。

では日本が海外に絶対に負けない強みはなんでしょうか。私は日本文化だと思っています。今、欧米の人達も健康に良い日本食を積極的に取り入れています。スティーブ・ジョブズ哲学の一つは日本が世界へ広めた禅です。このように世界に広がる日本文化ですが、その中でも最も人気(で、私が最も得意)なのは日本のポップカルチャーです。例えば、ポケットモンスターは世界中の子供から愛されています。ポケットモンスターの市場規模は全世界で3兆円を越えるといわれています。

しかしながら近年、ポップカルチャーも海外勢に押され始めているのではといわれはじています。アニメの絵コンテは韓国、中国に外注され、アイドル世界においても、少女時代、KARA(韓国内の人気はイマイチ)などK-POPに押されつつあります。このままでは日本のポップカルチャーもやばいと、昨日までは思っていました。

藤本美貴10周年記念ライブ

昨日の藤本美貴10周年記念! 『1夜限定!完全復活! ミキティー』大感謝ライブ!はこのような弱気の心配を雲散させてくれました。

土下座

で崇拝の姿勢を示しながら、

ミキティミキティミキティミキティミキティミキティ
ミキティミキティミキティミキティミキティミキティ
美貴さま美貴さま美貴さま美貴さま美貴さま美貴さま
美貴さま美貴さま美貴さま美貴さまオシオキキボンヌ

そう僕達は美貴様にお仕置きして頂きました。どうです、ここまで調教されたファンがK-POPにいるでしょうか。韓国のアイドルも素敵と思いますが、日本のアイドルは歴史の重みが違うと感じました。アイドルとファンが紡ぐ共創の世界がそこにありました。アニメの世界も日本が世界基準となっている現在、外注がどうのと瑣事にとらわれず、新たなトレンドを発信し続ければ問題ありません。

つながる時代の共感戦略

2013年、インターネット人口は世界人口の3分の1にあたる23億人、さらにFacebook登録ユーザー数が10億人いる”つながる世界”、共感時代になると言われています。最もメジャーな共感企業はAppleです。ライバル企業には宗教と揶揄されるほど熱心のAppleファンはiPhone発売日の3日前よりAppleストアに並び誰よりも早くiPhoneを手に入れようと頑張ります。さらに、iPhoneの良さを自身のブログ、SNSで宣伝してくれます。もちろん、高いお金を払って。

世界にAppleと以上の共感ビジネスを構築できているのは日本のアニメ、アイドルしかありません。美貴さまのコンサートのエッセンスを他分野産業にも適応できれば、21世紀、日本が世界最強の国家になる日も近いんじゃないかと思います。最後にオシオキキボンヌをより詳しく知りたい方はこちらの動画をご覧ください。

オシオキキボンヌ

衰退、そして創造と再生〜ルネサンスと日本文化 II 〜

「なぜ応仁の乱は起きたのか?」

この簡単な疑問にすら、僕は答えられません。教科書的には、足利将軍家の家督争いから始まる守護大名、細川家と山名家の戦がキッカケってことになります。では、なぜ家督争いが起きたのでしょうか?それは足利将軍家の力が弱体化していたことが大きな原因です。では、なぜ足利将軍家は弱体化したのでしょうか?これは逆説的に各地の守護大名が室町時代の平和な時期に大きな権力を持つようになったことが原因です。初代将軍足利尊氏は南北朝時代に北朝を擁立し、後醍醐天皇率いる南朝と、その将である楠木正成と激しい争いを続けたわけですが、南北朝が完全に統一されたのは1392年(明徳の和約)で三代将軍足利義満の時代です。つまり、幕府運営のグランドデザインをしっかりとできないまま足利尊氏は世を去ったと言えます。これ以上の深入りはしませんが、重要な点は、足利室町幕府は、脆弱な体制で運営されていたということです。

室町幕府に致命的なダメージを与えた真の元凶は?

そこに大きな負荷としてのしかかってきたのが自然災害です。現在のようにテクノロジーが発達していない当時、干ばつ(旱魃)や冷害は、即、飢饉が発生するという意味で、幕府が最も恐れた天変地異と言えるでしょう。そんな弱体化した室町幕府を襲ったのは、ケタ外れの干ばつでした。1459年頃から数年にわたって日本では作物が育たないという、恐ろしい状況が続いたのです。

この飢饉に対し八代将軍足利義政は手を打つどころか、世捨て人のように隠居をしてしまったというから驚きです。国の危機において将軍が役に立たないのではどうしようもありません。そこで登場してくるのが、足利義政の正室であり九代将軍義尚(よしひさ)の母、日野富子と、細川勝元と山名宗全だったわけです。この大飢饉の最中に日野富子は細川勝元と組んで自分の子を将軍にするために画策し、対する山名宗全は義政の弟である足利義視(よしみ)を擁立し、激しい対立を生じさせることになります。そして、これが最終的に京の都を焼き尽くす応仁の乱へと発展していくわけです。

日本の歴史の授業では1452年に南太平洋の小さな群島、現在のバヌアツ共和国で起きた巨大な海底火山クワエの噴火が取り上げられることはほとんどありません。少なくとも僕は聞いたことがありませんでした。そして1452年の南太平洋クワエの大噴火が、その後少なくとも3年にわたって世界から夏をなくし、世界中で大飢饉を引き起こしたことも、ほとんど教えられていません。

応仁の乱とルネサンスの共通点

この大噴火が日本では長禄・寛正の飢饉(1459年〜1461年)の引き金となり、ヨーロッパではオスマン人の大移動に伴う東ローマ帝国の滅亡(1453年)へとつながります。東ローマ帝国も室町幕府同様以前から弱体化していた点は同じですが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が陥落する引き金となったのは、やはり、1452年の南太平洋の大噴火に端を発する飢餓と言えるわけです。ギリシア正教の東ローマ帝国からイスラム教のオスマン・トルコ帝国へ、となれば、多数の知識階級のギリシア人がコンスタンティノープルから西ヨーロッパ(特に現在のイタリア)へと亡命しはじめた理屈も理解できるでしょう。この時に亡命ギリシア人たちは様々な思想や技術、科学、特にイスラムの高度な数学を持ってイタリアへとやってきたわけです。

ヨーロッパが中世を抜け出したキッカケは外圧

イタリアを中心に芸術、科学の花が開いたルネサンスは一方で、世界的な不作、飢饉、オスマン・トルコ帝国の侵入による東西交易の遮断、地中海交易権の剥奪による経済の停滞などどんよりするような状況下で生まれ最盛期を迎えるのです。もし、オスマン・トルコ帝国による地中海支配がなければ、ヨーロッパ人にとって海とは地中海であり続けたのかもしれません。オスマン・トルコ帝国の地中海支配によって、印刷技術、測量技術、航海術、造船技術、これらすべてが同時多発的に飛躍的な発展を遂げ、ヨーロッパ人は地中海から大西洋という外洋へ飛び出して行ったのです。

ヨーロッパではクワエの大噴火によって東ローマ帝国の滅亡という大きな転換点を迎えました。これによってルネサンスは最盛に向けて加速したわけです。かたや日本はどうでしょうか。僕たちは応仁の乱から戦国時代へと続く歴史は年表で学びましたが、ヨーロッパのルネサンスと全く同じ事が起きていたことはあまり知りません。しかし、実際の所、後の日本人に極めて大きな影響を及ぼす、文化、芸術、建築、生活習慣のほとんどが、ルネサンスと同じ時期に生まれています。この時、日本で生まれた代表的な思想が「わび、さび」と言えるでしょう。また現在の日本でも最大の仏教宗派である浄土真宗が飛躍的に拡大したのもこの時期です。政治においては、とんと無頓着で、その悪政により一体どれだけの尊い命が失われたかわからない八代将軍義政ですが、一方で彼が後の日本に残したものは、実に偉大であることも間違いのない事実です。

衰退ではなく、飛躍に向けての準備

このように歴史を振り返ってみると、私たち人類、そして日本人の前には天変地異や飢餓、戦争のように厳しい試練が何度も立ちはだかってきました。そして、そのたびに、私たちの祖先はそれを不屈の闘志で乗り越えてきたのです。確かに今僕たちは「失われた20年」を生きているのかもしれません。政治的にも、不信が続いてきたのも事実です。しかし、動物が勢いよくジャンプするためには、一度大きく身を縮めるように、日本という国もまた次のスタートダッシュに向けてクラウチングの必要があったのだと僕は考えたいです。今、巷ではアベノミクスという言葉がそこかしこで聞かれます。いよいよ、20年の準備期間を経て、再び日本の再生、飛躍の時期が来たのかもしれません。

伊勢神宮と技術継承

 

伊勢神宮 内宮

先だって生まれてはじめて伊勢神宮にお参りに行って来ました。これまで神社といえば、近所か観光地かというくらいしか、あまり行ったことがなかったので、今回の伊勢神宮参拝は色々と日本を考える良いキッカケとなりました。

伊勢神宮は内宮(ないくう)と外宮(げぐう)に分かれて、それぞれに天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)という二柱の女神がお祀りされてます。日本の古神道のひとつの中心地であることに異論なく、古くからお伊勢参りとして日本人が生涯一度は目指した聖地でもあることは皆様ご存知通りでしょう。

そんな伊勢神宮の社殿が建築されたのは今から20年前の1993年です。はて、伊勢神宮が20年前に建造された?そう、私たちが伊勢神宮に出かけてお参りする社殿は20年前に作られたものだそうです。そして、今また新しい正殿が作られ、今年の秋(2013年10月)に天照大御神と豊受大御神の御神体は新しい社殿に遷御(せんぎょ)される予定になっています。

文化や宗教においては古いものほど価値があるように思われがちですが、伊勢神宮は常に社殿を清く(=新しく)保つことを良しとしてきました。20年一度、正殿のみならず、その他いくつもの社殿、倉、橋などすべての建造物が生まれ変わるのです。これが伊勢の「神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」です。20年に一度建て替えるという文化が継承されて今年で62回、途中戦国時代などの中断を含めると、第一回式年遷宮が行われたのは持統天皇が統べていた飛鳥時代(690年)、実に今から1300年前です。大分昔からやっているお祭りですね。

どのような経緯と目的で20年ごとの式年遷宮が制定されたのかは諸説ありますが、様々な視点から見てみると、非常にうまくできた仕組みであることがわかります。もちろん、神道として神様を常若(とこわか)にお祀りするというのが、第一でしょう。しかし、日本的思想の真髄は、それらを生活や文化に溶け込ませることで、長く、強く生き残る点にあると個人的には思っています。

まぁ、私の推測ではありますが、一番大きな目的は宮大工という特殊な建築技術を長く継承することだったのではないかなと考えています。特に一世代20年と考えると、ますます20年での式年遷宮は技術継承を目的としたイベントなのではないかと思えてきます。1300年にわたって引き継がれてきたのは社殿そのものではなく社殿を作る技術です。結果的に私たちは持統天皇が生きた飛鳥時代と同じ伊勢神宮を目にすることができるのです。

もちろん大抵、宗教というものは永遠の美を目指すものです。西洋のキリスト教も良い例でしょう。地震が少ない当地の石の文化では、石で作られた頑丈な大伽藍によって永遠に続く美を表現しようとしました。逆に地震や台風など自然災害の多い日本で、私たちのご先祖様たちは、式年遷宮と言う方法で、こちらもまた永遠の美を保とうとしたのかもしれません。わかりませんが。結果的にそうなってます。

日本は北海道から沖縄までどこに行っても、神社があります。伊勢神宮や出雲大社に比べればもちろん小さなお宮さんです。しかし、これら全国津々浦々の神社がいつも美しく、清らかに保たれているのは、ひとつは伊勢神宮をはじめとしたいくつかの神社で、式年遷宮が守られているからではないかと思えるのです。式年遷宮があるから、日本にどのような文化や宗教が他国から流れ込んできても、飲み込まれることなく、むしろ良いところだけをうまく取り入れてさらなる文化的発展に役立てることができたのかもしれません。

明文化された教義や教典が存在しない神道だからこそ、宮大工は言葉ではなく、仕事を通じて神様への畏敬の念を持つことができたのではないでしょうか。そんな宮大工はきっと古くから日本人にとって最も誇り高い職業であったことは想像に難くありません。その宮大工が持ち得た思想こそが、私たち日本人に、労働は罰であり贖罪であるという考えではなく、働くことは神様との対話であり、崇高な行いである、という考えとして根付いたのかもしれません。

どれも憶測の域を出ませんが、ともかく生まれてはじめてのお伊勢様を見て、文化的、宗教的に優れているだけでなく、技術を継承するために文化に組み込んだ(ように見える)ロジックが非常に見事だなぁと思った次第です。

今年(2013年)は60年ぶりの出雲大社の式年遷宮も重なり、私たち日本人にとっては、浄化であり、生まれ変わりの年であり、新しいことを始めるに最高の年であると言えます。新しい正殿にお渡りになった神様たちが、きっと私たちの日々の頑張りを見守ってくださることでしょう。安心して色んなことにチャレンジしましょう。

伊勢神宮の木からセミのようにパワーを吸い取ってみる